インファナル・アフェア

インファナル・アフェア [DVD]
アンドリュー・ラウ/アラン・マック
ワーナーマイカル熊谷

映画の話法における電話の居心地の悪さは、電話が同時間に離れた空間にいるというサスペンスをカットバックという手法で無効化してしまうことにある。現実では見えない相手との距離がサスペンスを作り出すが、映画ではモンタージュで空間が繋がるために、そこには安堵感しか表れない。逆に言えば映画では電話はむしろ繋がらないあるいは出られないという状況がサスペンスを作り出す役割であった。瀕死の男が電話をするが、なかなか相手が出ないという引き延ばされた時間が緊迫感を生み出す電話の役割だった。
しかし現実はそんな映画製作者たちの悩みを無視して、携帯電話というものを作り出した。いつでもどこにいても繋がってしまう、時間と空間の不在を埋めてしまう不届きな代物である。これによって、距離を越えたサスペンスというものが成立しなくなってしまった。観客は映画館で「ケータイでアポとりゃいいじゃん」という身も蓋もないツッコミをするだけで良くなったのだ。
描くのが難しいから現実にあるものを無視するというのは正しくない。この作品が画期的なのは、携帯電話を映画の物語の中に深く位置づけることに成功した希有な例だからだ。その周到なタッチをこれでもかと畳みかけるのには唸ってしまう。
オープニングの麻薬取引の部分をどういうサスペンスで描くのかと思っていたら、あっさりと互いの敵方に内通者がいることを明かしてしまう。これには驚いた。最近の映画では、みえみえの潜入捜査なのになぜか相手に気付かれない、そんな作品ばかりなのに。ここで大胆にネタ明かしから入るとは、シナリオの完成度に対する自信の現れを見せつけられる。しかもネタ割りから入るので、観客は徹底して、互いの内通者に感情移入することが出来、また彼らの知恵比べを楽しむことができる。このシーンで重要なのは、アンディ・ラウトニー・レオンは互いの存在を知らずに、その場所を動かないままに片方はモールス信号、片方はパソコン通信を使って、相手に決定的なダメージを与えようとする。伝言される間接的な情報を基に刻々と変化する状況を打破していく。ものすごい知的なゲームだ。
また互いに運命から逃れられず、鏡合わせの存在となった二人が唯一自己証明できるのが、匿名ではあるが確かに存在する方法、それが携帯電話なのだ。
故に携帯電話が物語を進める重要な要素となり、もうひとりの主人公格を得る。そのおかげでいくつかの不自然な設定、着信履歴を見れば、アンディ・ラウが裏切り者だということがバレるはず、などは気付かない。
しかも恐ろしいのは、電話で話した相手と会って一気に距離を縮めたとしても、それが何の解決にもならなかったりするところだ。逆にそれにより互いに自分に対する引き金を引くことになる仕組みさえ持っているのだ。
さらにシナリオが巧妙なのはそれぞれを操る者が介在することで、彼らがゲームのコマとして消費されることがはじめから観客に理解されるところだ。彼ら自体が携帯電話のように使われ、やがてどうあがいても行き止まりな運命しか与えられていないことに気付くというすごいシナリオなのだ。このストーリーは如何にして自分が破滅していくのを回避して遅らせることができるのかというふたりに仕組まれたゲームなのだ。
 そしてそれを支える役者たち、あえてスターというが、彼らの存在があって映画が成立する、その説得力を未だに持ち続ける香港映画がうらやましい。