クランスマン

クランスマン [DVD]

クランスマン [DVD]

テレンス・ヤング監督。サミュエル・フラーが脚本に参加している。
南部の黒人とKKKと街の治安を守るはずの保安官の争いが、狂ったままに暴走して行く様を救いようがないほど冷徹に描いている。フラーによると、これでも甘い、となるのだがかなりハードです。
白人女性のレイプ事件が発端となり、田舎の街に暴力の連鎖がじりじりと広がって行く様が、一見なにもない日常風景の隣にある狂気が息苦しいほどだ。KKKの連中は庭でバーべキューをしながら黒人を撃ち殺す相談をする。女房はそれを平然と聞き流しながら食材を運ぶ。『ショック集団』のKKKのマスクが取り外された衝撃的なシーンを思い出す。
リー・マービン扮する保安官も法の番人をしているが、どう考えても白人の仲間でありKKKのメンバーだということが暗示される。事件が起きても闇取引をしてもみ消そうとする。
街の外に住む、自然保護派のインテリのリチャード・バートンは、戦争で足に負傷したことが描かれる。彼だけが外の世界を見ていることがわかる。そしてここが異常な世界だということも理解しているが土地から離れるつもりはない。
途中からみんな勝手な行動原理に従って動き回るので収拾が付かなくなり最後に銃撃戦が起きる。いつものフラーの大風呂敷シナリオのせいだろうか。アメリカ社会の底流にある暴力と狂気はフラーのテーマだが、視点がだれにも降りてこないので感情移入がしにくい。でも部分部分に散りばめられたパンチの効いたセリフが小気味良い。
まったく現代にも通じる話なんだが、いまやるともっと隠された部分を描かないとならないだろうな。KKKホモセクシュアルな結束や白人と黒人の性愛はもっと直接的になるんだろうな。大っぴらに描けるようになったので、さりげない描写や伏線は流行らないのですね。逆にそれによって物語が含みがなく、つるりとしちゃう。映像での描写が勝ると複雑な人物の関係が、シーンとして描ききれなくなる。結果意味なく映画が長く冗漫になる。これが昨今の傾向だと思う。
しかし、ラストシーンで、生き残った女性が木を燃やしながら「みんなこの木が悪いのよ」と言ったときにアッと思った。たぶんこれは守ろうとした森や土地のことだと思うが、同時にしばり首の木を意味しているのではないだろうか。
というか黒沢清の『カリスマ』の元ネタってこの映画じゃないかと思った。世界観が似ているんだよね。異様な状況に翻弄されるやる気のない保安官、謎の武装集団、森の隠遁者。彼らが外に出て行くのではなく、土地にしがみついて自分たちが正しいと叫び相手を出し抜こうとする。その右往左往している様を冷徹に観察している視点が似ている気がするなあ。
『カリスマ』を観た時に西部劇の世界だと感じた、それもニューロ西部劇ね。壊れていく神話の世界というのはぴったりじゃないかな。