魔術的芸術

魔術的芸術

魔術的芸術

四次元怪獣アンドレ・ブルトンによる美術史。
芸術家の「想像力」や「創造の源」は一体どこから来るのだろうか。芸術家の持っているのは神の手なのか、それとも悪魔の手なのか。ブルトンはその答えを古代の呪術に求める。現代で言うプリミティブ・アートは、荒ぶる神々を静めるための、呪術師だけが持つ魔力だった。神々を納得させるためには、美術品の完成度や美しさを作り出すためのチカラが必要だった。その技術を持った者が芸術家であった。各時代の流れから、埋もれている魔術的なチカラを持つ芸術家たちを復権していく試みが本書だ。
そこで取り上げられるのは、お馴染みの力強い古代美術品であり、ヒロニムス・ボス、レオナルド・ダ・ビンチ、アルブレヒト・デューラー、ギュスタブ・モロー、ポール・ゴーギャンアンリ・ルソー、そしてジョルジュ・デ・キリコをはじめとするシュール・レアリストたちを彼らの末裔に挙げている。取り上げている作家はまさに、ひたすら超現実(=シュール・レアリズム)を描いているのがわかる。
ここで気付いたのは、キリスト教の「神VS悪魔」という図式を無効にしようとする試みが行われていることなのだ。西欧文明ではどんなことがあっても、たとえ芸術家は神の啓示を受けたとしても、モノを作り出す自らが神になることは許されなかった。というかそれは悪魔の仕業とされてきた。ローマ時代から、教会の審判に怯えるか、巧妙に裏を潜り抜け庇護を受けた作家しか生き残っては来られなかった。寓話や聖書の話としてしか想像の世界(超現実)を描くことができなかったのだ。そこで出てきたシュール・レアリズムの無神論、教会破壊の与えた革命性は私たちには到底わからないだろう。ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』などへの攻撃を見ても、そのスキャンダルがキリスト教社会にショックを与えたことは想像できる。それでもブルトンは敢えて、芸術家は魔術師だという。もっと言えば、創造主(=神)だと言っているに等しい。まあそのこと自体は西欧文明だけで、本書で取り上げられていない、アジアの芸術、汎神論に対しては無力なのだけれどね。
また、シュール・レアリズムと同時期にフロイトが提唱した無意識を探るための「夢判断」が、ブルトンの論理とぴったりと裏表で繋がるのが面白い。
もうひとつ余計なことを言えば、印象派がありのままの自然や人間の卑俗さを題材としたことも、また反キリスト教だけれども、そこには超然たる魔術が無いので、結局は細かい方向へと自家中毒に陥らざるを得なかったということも、別の目線から言えるのではないでしょうか。(もちろん何人かの優れた絵描きは別ですが、全体の方向として)
個人的には映画に話を持っていくのだけど、ハリウッドをはじめとするスタジオ方式の人口美(夢の工場!)が、ヌーベル・バーグによって否定されたが、実は悪魔の子のゴダールだけが特異なのであって、結局、西欧映画界に残ったのは卑俗な貧乏人の話だったんじゃないかね。