修羅雪姫

修羅雪姫 [DVD]
あーオモシロかった。藤田敏八ってこんな映画も撮れるんだ。日活ニューアクションのころ観てないから知らなかったけどさ、なかなか普通に良くできていたなあ。
梶芽衣子がさ、『さそり』のときとメイクが違うじゃん。あっちは付け睫毛ビシバシだったと思うんだけど、こっちは地毛かな?敏八監督はリアリズム嗜好なのかなあ。撮影の田村正毅もさ、リアリズム照明で、現像処理で明度を下げているから画がパキっとしないんだよねえ。東映は役者をキレイに写す伝統があるから、そのあたりってクリアされているんだよねえ。加藤泰がリアルにとかいっても、絶対にキャメラマンと照明技師が誤魔化してキレイに撮って、監督が結果オーライでフムフムとか言って、評論家が加藤泰のリアリズムとか言うんだぜ。そんなことは現場の職人、ましてや東映時代劇の最盛期を過ごしてきた者としてはありえないと思うんだよねえ。どこの職人が自分の腕に泥を塗りますか。芸術家史論でみるとそーゆーことになるんだろうがね。いわゆるナチュラルライトあるいは気づかれないように自然に見えるように当てている照明さえも美を作り出しているのだよという当たり前のことを言いたかったのです。
…話が外れたけど、田村正毅の画面って美しい構図の切り取りだけど、愛情が感じられないんだよね。梶芽衣子はきれいなのだけど、梶芽衣子がきれいに撮れていないのが不満だ。美術が頑張っているよね。明治初期をよくあれだけやりましたよねえ。様式美だけどそれだけの見応えがある。衣装なんかも白に蝶の紋なんて誰が思いついたのかねえ。
しかし『キルビルVol.1』はそのままのホント、パクリじゃんね!!ストーリーはこちらの陰惨な因果は巡るの方が好きです。実のところ人間関係の因縁とか、国家権力に対峙してというのは、作る側の「ありえない話を正当化する」ための意識の起爆剤みたいなものでさ、客観的にオトナの事情から考えたら必要ない部分であるわけで、今だったらプロデューサーやスポンサーがあるいは作り手自身が事前検閲して削除あるいは漂白しちゃうんだよね。だから昨今の映画やテレビはつまらないんだよね!
崔洋一とかでさえもそのあたりを描こうとしてないんじゃないかな。北野武にしてもあの世代から下はみんなファンタジーに逃げちゃうんだよね。ボクのいうファンタジーっていうのは「昭和の物語の枠組み」ということなんだけどね。わかんないかな?テレビドキュメンタリーとかで、悲惨な貧乏家族者とかやってもさ、でも健気に家族愛で生きてますって話にされちゃうじゃん。それ以外には決して構成されないんだよね。そういう意味でのファンタジー、「おはなし」だね。
どうして観る方が陰惨な因縁話とかに耐えられないと思うんだろうね。ドラマじゃん、面白いほうがいいのにね。韓流に流れたり、ドロドロ昼メロに流れるってそういうことじゃないのかな。