映画が目にしみる

映画が目にしみる

映画が目にしみる

中日新聞に2002年8月から2006年10月までに掲載された、映画、テレビ、映画本などを紹介している。新聞紙面という制約のせいか、一回ごとの字数が足りずに中途半端な内容になっているのが残念。いつもの切れ味が出ずに、コラムとしても展開しきれていない。(まあそのまま単行本にするかどうかという問題もあるけど…)
それでも『下妻物語』を“ケッ作”と一言で評するのはサスガの年期。
ニコール・キッドマンメグ・ライアン、大塚寧々の映画が多く取り上げられているのは、著者が、おでこを出して鼻が上向きの女性が好きという性癖があるので仕方がない。
オールド・ファンとしては、つむじ曲がりのまま、半世紀近くのスタンスのブレの無さ、変わらなさがいいんだけどね。

映画の批評を書く若い人が、やれ小津だとか、清水宏だとかいうのは、一種のタイハイだと思っている。
映画は封切られた時代、環境を知らなくては論じられないもので、戦前・戦時は神格化され、戦後も時代の外にいて「晩春」「東京物語」ほかで(別扱い)され、やがて映画ジャーナリズムの中でフェイドアウトしていった小津の在り方がわからずに、あれこれ言っても仕方がない。
だから、批評家は同時代の映画を論じるべきだ、とつねに口にしている(後略)