参考文献

DUKE ジョン・ウェイン

DUKE ジョン・ウェイン

同書の、「第7部 21.ラスト・シューティスト――一九七六年」で撮影風景がジョン・ウェイン側から描かれる。シーゲル自伝ではあっさりとしか書かれていない部分の真相がわかってなるほどと思う。
冷静な撮影監督のブルース・サーティスが、ウェインにキレた真相は、ウェインのメイキャップ(ドーラン)の色が濃すぎて(赤っぽく)、他の人物の顔色とバランスが取れないためなのに、それをカメラマンの腕にされたからだ。デュークは白黒時代からドーランを変えてなかったそうだ。彼に云わせると、すべてオレに合わせろとなる。
シーゲルがある意味いつもどおりに自分のスタイルで的確に撮ろうとしたのに対して、そのキャリアを終えようとしていたジョン・ウェインは昔ながらの取り巻きを従え、あくまでもいつものようにスターとして、自分の映画としてコントロールしようとしていた。そこに両者の衝突が起きたようだ。そのあたりの気質の違いが面白い。バート・ケネディとはどうだったのだろうか?