映画の呼吸 澤井信一郎の映画作法

映画の呼吸―澤井信一郎の監督作法

映画の呼吸―澤井信一郎の監督作法

かつて「新人監督日記」を読んだとき、著者である監督の和田誠が主人公の真田広之が世間知らずな若者であることをどう表現しようかと悩んでいたときに、監修的な立場で付いていた澤井が、生まれてはじめて見る学生服をボタンを外さず、アタマからセーターのように被って着たらどうかとアドバイスした。そして「演出とはその人物を表わす仕草をみつけることだ」と云った。この一言に痺れましたね。さらにこの言葉がマキノ雅弘直伝と聞いて、ますます唸ってしまった。
同時期に『Wの悲劇』のシナリオを読んで、その構成の確かさとすべてのシーンとセリフに意味が散りばめられていてひとつも無駄がないことに気付き(要は日常の延長としての言葉も動きもないということ)、そのレベルの高さに唖然としてしまった。
本書は映画のインタビュー本としては質と量ともに採点するなら、100点満点でいえば150点です。微に入り細に入り聞けることはすべて聞いている。「映画術 ヒッチコックトリュフォー」にも匹敵する映画作法が満遍なく語られ書かれている。
助監督時代に薫陶を受けたマキノ雅博のポートレイトが圧巻。自伝の「映画渡世」で語られてきた伝説の撮影方法が詳細に語られる。撮影のとき毎朝出るシナリオの号外がどのようにしてできるのか。マキノが目の前にあるシナリオを一通り貶してから、ハコ書きの点検、ストーリー、シーンの綾を探す。それが見つかると一気に口立てでセリフを生み出す。これが撮影が終わって深夜まで毎日続けられる。こりゃ壮絶、すごいな。マキノ節ができる様が活き活きと語られるのだ!これも貴重な証言だろう。もちろん2キャメラでワンテイクしか撮らない驚異のスピード撮影や女優への演出についても、なるほどこういうことだったのかと当事者に語られると、改めてマキノが歩んできた日本映画の歴史と技のすごさが際立つ。
澤井映画ができるまで、シナリオから、撮影、仕上げに至るまでの作業を綿密に追っていくと、撮影所の生み出す映画とはどういうものかが見えてくる。失われた確固たるプロの現場があった時代の映画作法がわかるのだ。特にシナリオに対する態度は、いま日本映画に失われている何かが見えてくる。それはシナリオのことだけじゃなく、プロデュースや撮影や編集、映画のすべてに影響を及ぼしていることが理解できると思う。
シナリオを大切にする澤井が、時代と場所は違うがともにマキノにシナリオを教えられた笠原和夫の「昭和の劇」への、監督という立ち位置からの回答のところもあり興味深い。監督と脚本家の役職の違いであり考え方の違いだ。
澤井は第一稿がすべてだという。そこに至るまでの登場人物たちの造型やストーリーの展開に腐心する。マキノ流でいくところの綾だ。ここに向けてシナリオライター、プロデューサーと全精力を費やしていく。その論理の組み立て方は文学的でも演劇的でもない、映画ならではの職人芸の捌きの見事さをみているようだ。
聞き手の鈴木一誌のインタビューと構成も的を得ていて素晴らしい。澤井もその想いに充分に応えている。下手な映画本や退屈なアカデミズム授業よりもはるかに確実に実践的だ。まさに「映画の教科書」であり「映画監督作法」なのだ。