ブラック・リスト

このシリーズの大ファンなもので一気に読了。今回もずっしりと重い内容だが楽しめた。表紙が江口寿史のイラストでなくなったのが残念だなぁ。
今度のシカゴの探偵、V・I・ウォーショースキーの活躍するのは、ポスト911アメリカだ。ちょうどアフガン攻撃の頃の殺伐とした時期、シカゴ郊外に住む生まれながらに富と権力を持って生きてきた人たちの世界で起きた殺人事件だ。
事件の背景には裏切りと差別が跋扈した、おぞましき赤狩りの時代の亡霊が見え隠れする。そしてさらに恐ろしいのは、その「人狩り」の時代が再び“愛国者法”としてよみがえり、重なり合ってくるところだ。
わたしたちにはピンとこない、令状なしに個人の情報を閲覧して拘束することもできるこの法案、実際にこの小説に書かれた主人公に適応されそうになる部分を読むとぞっとする。
これまで真実を探るために不法すれすれの捜査を続けてきた探偵も、実は国民の権利としてアメリカ合衆国憲法に守られて活動してきたのだ。だからたとえ警察に捕らえられても権利として弁護士を呼ぶことができたし、黙秘することもできた。
しかし愛国者法の下では、盗聴や図書館の貸し出しリスト、疑わしきものを捕らえるのに令状はいらない。しかも弁護士に居場所を知らせることもできない。登場人物のひとりがつぶやく「こんな光景は1940年代のヨーロッパで見てきたが、まさか自分の祖国で同じ光景を見るとは思わなかった…」という言葉がすべてを表わしているだろう。
そんなテロリストの影に怯え疑心暗鬼になると同時に狂信的な愛国精神が噴き出して、国民だれもが標的になり得る様子が描かれている。
一方で、標的として晒されることが無いアメリカを動かす権力者が、どういう倫理観と論理で生きているのか。政治的な保守とリベラルの対立を越えた、金持ちのグループの地縁血縁、利益の絆の根深さが一体何を引き起こしているのか。ニュースではわからないアメリカの支配層の世界観が見えてくる。
それらは40年代のチャンドラーや50〜60年代のロス・マクドナルドの腐敗した富豪の世界に近いように見えるが、それを現代の視点から捉えなおした本書は、探偵小説に留まらずアメリカの精神の現代史を示しているように思える。
赤狩り」といえば、後期(中期?)エラリー・クイーンの名作「ガラスの村」を思い出しました。アメリカの探偵小説には、時事問題を切り取る強い形式とチカラがあるように思えますねぇ。
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)

ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)