DumbLand

朝から調子がイマひとつのところに、ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記で紹介されていた、デヴィッド・リンチの『DumbLand』というアニメを観てしまった。
けっこう不快な内容ですが、…でもオススメ(観ての苦情は受け付けませんが)。YouTubeで検索するとたくさん創っているみたいですが、まあ体力気力のあるときに観ます。
しかし!リンチ、リンチ、――っん、なんというか、自分の好きな要素が全部入っているのですよね。チープな手作りアニメにも。郊外の一戸建ての庭、蠢く畸形、反復されるだけのバイオレンス、ブルーワーカーの父性と逃れられない環境に囚われた少女。これらがわずか3分のなかに凝縮されたイコン、スタイルになって閉じ込められている。
リンチは、映画、テレビ、アニメ、絵画などメディアに対応しながらも自己のスタイルを貫く映像作家のように思われるが、実は逆に自己のスタイル(妄想)に合わせて、メディア自体の特性を最大限に引き出すタイプの現代美術の作家なのだなと思います。画家が場合によって、水彩画、油絵、彫刻と表現手段を変えていくのと同じく、映像メディアを変えていくと考えればわかりやすいでしょう。そもそも自身が映画監督であるとは思っていないだろう。
映像メディアの場合は、カネがかかるのでどうしても受注作品となるのでわかりにくいですが、受動的でありながらもメディアの特性や神話を繋ぎ合せながら無意識の批評的に展開しているのがわかります。
ツイン・ピークス』にしてもソープオペラの連続性に秘められた無限ループの世界の悪夢を紡ぎ出して、テレビドラマを解体したメタドラマでありながら魅惑的なリンチの世界を作り上げた。だからあれだけ熱狂的な反応を引き起こしたのだろう。『マルホランド・ドライブ』がテレビのパイロット版から出発したのも、ハリウッド製テレビドラマへの批評的なスタンスと形骸化した爛れた映画の都ハリウッドとロサンゼルスへのねじれた郷愁だったのかもしれない。
CM、プロモーションビデオ、短篇作品がありがたいことにYouTubeで観られるのだけども、すべてがそのメディアに対して、どんな無意識の郷愁的、批評的なリンチの世界が繰り広げられているのかが中心にある気がする。
よく映画監督が作ったテレビとかCMとかゲームみたいな宣伝文句は聞くが、そういう場合は大体「映画的な演出…」に収まるものだ。しかしリンチの場合は、映画とか映像じゃなく、自分のヴィジョン=妄想を映し出すスクリーン、モニター、キャンバスに合わせて、ちびた鉛筆で描き、絵筆で塗りたくる作家なのだろう。作品が自己の表現じゃなくて妄想の吐き出し場所かもしれない(それはデムパまたは強迫観念とも云うが…)。