ニューワールド

ryotsunoda2006-04-30

テレンス・マリック監督作品。『シン・レッド・ライン』とどこがちがうと言われても、『天国の日々』とどうちがうと言われても、同じだと答えるしかない。それでは退屈なのかと言われると全然退屈ではない。
映画とは、実に単純なものが集まって、とてつもなく複雑に豊かになると言ったのはゴダールだったと思うが、これはいまのDVD販促ツールとしての劇場公開映画の饒舌さの百分の一も無い、むしろ説明不足だろう。劇的な要素もほとんどない。ただただ単純にすべてが進む。そこに時間が溢れ、空間が満ちてくるのだ。
テレンス・マリックは、いつもほとんどがスティディカムによる手持ち撮影だ。これはたぶん監督はシーンの状況だけを作り上げ、あとは役者に任せているためだろう。カメラが先回ってドラマの感情演出することは無い。役者だけでなく、スタッフもその場に放り込むのではないか。カメラが戸惑っているのがわかる。ここでは作為的なものはなにも求めていない。求めているとすれば、自然が醸し出す絶対的なスペクタルの時だけだ、それも控えめに。
いまのフィルムは控えめな些細な表現、それすら饒舌に撮れてしまうから、美しすぎる画は極力避けている。役者のメイクも無く、照明も自然光だけにしている。撮影監督はさぞ困ったことだろう。それでも、いやそれが故に映画がここまで光り輝くのだ。そして映画の可能性をまた押し広げることができる、そういう勇気を示してくれているのだ。
音楽のひどさはプロデューサーの指示ということにしておこう。ありえない大音響や西洋クラッシック曲(モーツアルトの「ピアノ協奏曲第23番イ長調」とワグナーの「ラインの黄金」)全体に流れる自然音を消し去り、メロドラマを強調する役割しかないから不自然過ぎる。うーんでもそうとも言えないセンスがあるからなあ、この監督は…。
徹底的な象徴と対比を取り入れたため、やり過ぎなくらいわかりやすい、入植(侵略)の貧しさと原住民の豊かさ、文明の対立。あまりにストレートなメッセージだ。その対比が衝突した時、夢か寓話の世界が、一転して恐ろしい寓話に変化する様子が、画の説得力と一緒に物語を飛び越えて迫って来る。