こっそりと引っ越し準備 その1

延々と98年からはじめた、サイトがどうもうまく更新できなくなった。いろいろ考えていたんだけど、blogのせいだ、あんな日記が、オレ様崇高な批評サイトを駆逐して良いはずがないと根拠のない理由をつけて、リニューアルに手をつけずに放置してしまった。実のところ、密かにbloggerをはじめ、いくつものブログを試してみたのだけど、


日記を書くほど自分の日常がアクティブでない。
過去に書いた批評文をうまく活かせない。
商業ベースあるいは技術ベースすぎてカスタマイズがしにくい。HTMLで打つ方がガリ版印刷っぽくていい。


など言い訳をしてまま数年間が過ぎてしまった。


といいつつも、mixiでお手軽な身辺日記を書いていたりするのだから、まあ書きたくないということではないようだ。限定された空間の濃いコミュニケーションはキライではない、むしろスキだ。ただね、mixiだと自分から進んで広がっていこうという気にならないんだよね。それは、こちらが記事内容で武装をするサイト主催者としての顔がいらないから、むしろリアルなオフ会に発展するには邪魔なのだろう。適度なマニアは残されても、過度なヲタクは排除される。個人的な意見より常識的な人柄が優先される、ある意味開かれた、ある意味リアルに近い感覚。それが大多数になっているのが現実。


先日「ウェブ進化論」を読んで,サボっていた数年になにが動いていたかを理解して、自サイトのヴァージョンを上げないとならんなのかなと感じた。それはもしかしたらネットとリアルの付き合い方を変えることなのかもしれない。


長年アタマの中に巣食っていた言葉がある。それはポール・ヴィリリオの「情報化爆弾」に書かれた言葉で、私はblogがこれではないかとずっと考えていて、web2.0でそれがようやく確信に変わった。


「広告は十九世紀には単なる製品の宣伝であり、二十世紀になると欲望を喚起するための産業的広告となったが、これは二十一世紀には純粋なコミュニケーションとなるだろう。そして、地球上の可視的なるすべてを包括した地平線全体に広告空間がひろがることを要求するだろう。」


はたして、blogにすることで、コミュニケーションのスタイルが変わるのか?広告は純粋なコミュニケーションになるのか?


答えは、とりあえず先に進まなければわからないです。