ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

自分のサイトだけど、数年前にblogが現れてから、サイトの更新ができなくなった。今もまあ細々と続けてはいるが、実際はmixiで私事日記もどきを書いている方が多い。
まわりを見ても、ほぼ同時期に匿名批評サイトをはじめた人たちが、ほとんど同じ頃に休止状態になってしまったのも不思議な妙な符牒だった。

そのあたり本書を読むと、ちょうどweb1.0からweb2.0への転換期にいたのではないかということに気づく。ある時代の潮目だったということだ。
web2.0は概念であって、これがという規定ではない。
http://japan.cnet.com/column/web20/story/0,2000054679,20090039,00.htm
そうは言っても、数年間書き続けた批評文が無駄になるのではという感触から、「ブログなんて、日記じゃねえか。流行りモンだよ所詮は!」と毒づいていた。その結果、自分のサイトは塩漬けのまま放置されている。

web1.0時代の、サイトの主宰者だけに編集権があり、コミュニケーションを規定する手法が、じつはもう古い考え方だということ。いわば、電子ガリ版の延長にある、自慰的行為に過ぎないことを明らかにしてしまったのだ。キツイいい方だと偉そうなことが勝手に書き連ねるだけで、本当にコミュニケーションを取ろうとはしていなかったということですね。まあヲタクの典型ですな。
主宰者は、その仕組みに気づいているのだが、次のリアルの段階に進む一歩を躊躇している間に、何も考えないブログ主宰者たちが気軽にコミュニケーションを成立されながら追い抜いていった事実。ここまでが、小さなところで起こっている大騒ぎだと思う。

結論からいうと、blogは無くならないし、流行りでもない、インターネットの潮流の主流に位置づけられる仕組みになる(なっている)。

いま起こっていることは、ネットの「あちら側」で深く静かに進行している。ネットの「こちら側」だけの動きを見ていると、いつのまにかその変化に気づくことはないだろう。
例えば、google。ただの検索エンジンと思っているのは間違い。googleの目指し、行っていることは、ネットの「あちら側」に情報発電所を作ることなのだ。目には見えないが、ネットの情報インフラを作り上げようしている。これは、別に光ファイバーとかじゃない。ありとあらゆるネット上の情報が絶え間なく、等しく行き交うようにする仕組み作りだ。
その究極は、人工知能を積んだ自動翻訳になるだろう。コミュニケーションを阻害する最大の難関の突破。バベルの塔を再構築することだと思う。世界中が瞬時に知識を共有することができるシステム。『マトリックス』の人間ポッドにも近いかもしれない。あれはデストピアだったが、もしユートピアとするならば、世界の頭脳がネットを介してみな繋がることだろう。

それが可能か、不可能かは、web2.0の動きを追うとよく理解ができる。
作者は「次の10年の三大潮流」を「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」と定義する。
そこでは、これまでの、ネットの「こちら側」の方程式は通用しない。web1.0は、いわばネットの「こちら側」の仕組みをそのまま使い、ネットで効率化のみを追求し儲かる勝利の方程式だった。しかしweb2.0への変化を読み解くときには、その常識は通用しない。しかもアナロジーで解釈しようする自体無理なのだ。

情報を一部の既得私企業が囲い込み、数人のプログラマーが考えた不完全な商品を無理矢理使わされ、その結果富の偏重が起き、あくまでも従順な消費者の姿を求められる世界に住むことを強いられる私たち。web1.0はその世界を補完し、強化しただけだったかもしれない。

web2.0の世界は、ある意味究極の性善説の延長上にある。開かれた誰でも参加できる世界だ。なんかネットでモザイクが出てきて、マイクロソフトが参入する前のネットの可能性が拡がった、あのわくわくした時代を思い出す。

いま日本ではネットの「こちら側」の利権争いが行われているが、アメリカはネットの「あちら側」にシフトしているという。最終的にはどちらが主流になるかは明らかだろう。その流れに遅れないようにしたい。