ミスティック・リバー

ミスティック・リバー [DVD]

カゼだったので、きっとシンドイに決まっていると思って今日まで引き延ばしててきました。
イーストウッドの演出とトム・スターンの撮影を楽しみにしていたのですがねえ、なんというか逆に気になって集中できなかった。『ブラッドワーク』であれほど西海岸の光をうまく使っていたのに、なぜこんな出来なのか?プリントの問題なのか、上映状態なのか。この作品がDVDになるまで意見は一応留保したいです。どう考えていても細部がつぶれているのが照明技師出身のキャメラマンとは思えん。ショーン・ペンとティム・ロビンズが屋外でふたり椅子に座っているシーンなど、結構微妙な演技指導しているとは思うんだけどよく見えない。あそこでなぜキャメラが微妙に寄るのか?窓越しの夜間の照明がやたら明るかったり、屋内でも光源の設定がよく分からなかったりするのはロケセットのせいか、移動がレールじゃなくすべてステティディカムだったり、予算がなんでこれほど無いのかと首を傾げてしまう。特に人工光がコントロールされていない。もしかして最初モノクロで撮ろうとしたんじゃないかしら。屋内の白の飛び方とかそれっぽいし、ワーナーのロゴも白黒だったしねえ。
まあ、それは冗談として、イーストウッドの演出の冴えが無いなあ。泣きの浪花節演出が『バード』のときのようだ。あと最後のパレードはいらないよね。意味が無い。後味の悪さが増すよ。小説ではあそこは処理できるのだろうが、映画では難しいんじゃないの。各人の落とし前がついていない。あれなら最初もパレードからはじまるべきじゃないの。話を循環説話にするためには。
ブライアン・ヘルゲランドの脚色っていつも無意味に小説のしっぽを残すよね。映画のなかで整理されていない、原作を読まないとわからない部分があるので蛇足だったり説明不足になったりする。
もちろん堪能はできたんだけど、もうちょっとどうにかできたのではないかと思うんですがね、このようなリアルさが前面にでる作品がイーストウッドに合っているのかというと、ちょっと疑問です。どちらかというときちんと映画にするベクトルの方が強い人であり、演出でリアリズムとか役者の演技を押さえているのに(職人的な語り口と役者の演技の自然さを引き出す演出方法のこと)、今回はそれが中途半端な気がする。だから人物造型がよくわからなかったり、映画のリズムがぎくしゃくしているようだ。いつもだったらもっとショーン・ペンの悪さと弱さやケヴィン・ベーコンの刑事らしさをきちんと強調しているはずで、妙に迷いがあるように思えた。
三人の妻たちの存在が裏主人公な役割もあるとは思うのだけど、きちんと描写されていないためか機能していないなあ。だから全員の行動の動機がすべて唐突すぎて、観客の置いていかれる気がする。そこを泣きの演技で持っていこうとするんで…。
どちらかというと、シドニー・ルメットやノーマンジュイソンが撮ったほうがずしりとくる映画になったように思いますね。イーストウッド東海岸は似合わない。

まあイーストウッドを政治的に云々な発言も出てくることでしょうが、私はドン・シーゲルのこういう意見を信じます。
http://ryotsunoda.tripod.com/donsiegel/clintus.html