野中広務 差別と権力

野中広務 差別と権力

野中広務 差別と権力


きわめて刺激的。自民党一党独裁政権終了による55年体制崩壊後、いつの間にか権力の場にあらわれ、影の総理とまで呼ばれ、そのチカラを見せまくった政治家、野中広務
マスコミに登場する姿からは、タヌキ親父としかわからないその実態を見事に映し出し、同時に彼を中心にこの10年ほどの永田町政治に一体なにが起きたのかを検証している。
野中のバックボーンにあるものについては本書を読んでいただきたいのだが、彼の辿った政治家としての歩みは田中角栄と似て、叩き上げの現実主義者であり、そのためか小沢一郎小泉純一郎などの理論派二世議員とは反りが合わない。
また彼は政治の潮目をみる人間だといわれる。そのため、保守派として京都の町長からスタートしたが、京都府議になると革新知事に取り入り、自民党衆議院議員になるとあっさりと、また保守に鞍替え。田中角栄と親しくするも、例の竹下クーデターに加わる。
細川内閣で野に下った自民党政権時代、社会党と手を組み自社さの村山内閣を仕掛け、官房長官となる。
次に公明党に近づき、いまの自公保のカタチを作り上げる。
ここで浮かび上がるのは、政権(システム)を維持するためには、理念をも捨て去り、昨日の敵と手を組む現実主義者の姿だ。
それを見て取れれば、社会党との連立(社会党側の田辺誠一も立場は違えど、野中と同じような時代に同じように叩き上げで国会に登りつめた男で、その意味で同じ釜のメシを食った55年体制組ということ)、公明党とは選挙協力する現状が理解できるだろう(小選挙区のためいまや学会票自民党候補の結果をも左右する)。結果自民党自民党である必然性が無くなり、結果、古くからの自民党員の反発が、小泉が出てくる流れを作ったといえる。それは過度に保護をしてきたシステムに逆襲された皮肉とはいえないだろうか。
このように見てくると彼が有能だったのは、時局を見る目があったからで、理想を語らないが故に、混迷の時代だからこそ必要とされた人物だったかもしれないが、それは調整役としてであり、理想(グランドデザイン)を持つべきはずの政治家としてのチカラとはまた別のように思える。
もし後年の歴史から俯瞰したら、彼の業績は二大政党時代の到来を遅らせた人物として語られるのではないだろうか。