パンク侍、斬られて候

パンク侍、斬られて候

パンク侍、斬られて候


大体私が未読だけど評判の作者の本を読もうかどうしようか悩んだときには、その本を手に取り読まずに、ぱらぱらページをめくり、漢字とひらがなの割合、改行が多すぎないか、句読点のリズムは、なんてことをまず見ることにしている。そのバランスの良さか、文体の濃さを基準に読むかどうか決めている。説明できないが書籍の艶みたいなものと理解していただきたい。
なのでどんなにネットで良い良いと騒がれていようが、きちんしただけの色気のない読書感想文のような優等生文章文体は、まず却下するし、やたらスカスカですぐに読み終わりそうな平易というのもおこがましいものベストセラー類もダメだ。
そのあたりを軽くクリアして、その上筒井康隆が一番滅茶苦茶だったころのような話だと聞けば、これを読まずにいられるか。
オモシロイ!やぁ、一見通俗時代小説(伝奇小説ですなあ)のカタチを使っただけなのかと思ったら、あれよあれよという間に饒舌文体が、登場人物たちを複雑怪奇に絡めて仕上げていくうちに、どう考えてもありえないけったいな物語が次々に飛び出し一気に明後日の方角に疾走していく。どこまでも具体的に丁寧に省くことなく描き過ぎなほど描いて、ぐにゃぐにゃに曲がりくねりながらも、いつの間にかそのこと自身が魅力となって、さらに雪ダルマ式に膨れ上がって収集がつかなくなっていき、読み手が呆然としてしまう様は、いままでの彼の小説でお馴染みのものだ。話言葉が時代劇なのに、無茶苦茶現代語とチャンポンにされて、しかも数ページにわたって展開する。それもほとんど無駄話。この味わいのおかしさは表現できません。出てくる人物が全然時代劇っぽくなく、イマドキな感覚で物事を論理的に考えたり、藩士がすぐにサラリーマン的に保身に走ったりする自己を正当化して他人を貶めまくる。そんな偉そうに、他人にムカついている輩も、じつは同じ穴のムジナだったりする、嫌味の玉手箱のような町田康脳内世界の右往左往が長編のカタチで見事に成立している。堪能しましたごちそうさまでした。