伊福部昭 音楽家の誕生

伊福部昭 音楽家の誕生

伊福部昭 音楽家の誕生

自分の好きな人を顕揚するのにこれほど丹精こめた文章はそうない。本当にやさしい言葉で書かれてこの人の素晴らしさを伝えたいという謙譲の姿勢で書かれている。それだけ伊福部昭も素敵な人なので あろう。 彼の祖先はオオクニヌシノミコトまで遡れる神官の家。 北海道で生まれ、10代から亡命ロシア人の現代音楽家に見出され、当時から黒沢映画の作曲家として後に有名になる 早坂文雄と交友を結ぶ。そして今も延々と作曲を続ける。300近くも書いたという映画音楽は実は彼の一部でしかないのだ。若い頃に夢中になったのが、ほぼリアルタイムでエリック・サティというのもええっ、と思わせるがよく読む と理解できるようになってくるし、伊福部という現代作曲家のスタンスも見えてくる。 東京芸大で教鞭を取った最初の授業での言葉がすごい、‘終戦直後の食うや食わずの時代というのに、ダンディな蝶 ネクタイ姿で、開口一番 「定評のある美しか認めぬ人を私は軽蔑する」というアンドレ・ジイドの言葉を引用し「芸術家たるものは、道ばたの石の地蔵さんの頭に、カラスに糞をたれた。その跡を美しいと思うような新鮮な感覚と心を持た なければならない」’と言ったと生徒の黛敏郎が書き残している。こんなことを言われたら学生は参っちゃうよね。さらに伊福部本人に聞くと、‘もっとも、ジイドの言葉には続きがあるんです。これもまた美しいということを、人よりも先に美 の刻印を押す人、それも私は芸術家と呼ぶ、と。’なぞと平然と言う。うーん。そんな言葉が一杯です。彼の曲を聴きたくなること請け合いです。

最後に、ゴジラの映画音楽について‘まあ、自分の背中を見ることができないのは世界で私一人ですから。ゴジラの音楽になぜ人気があるのか。私はこうではなかろうかと感ずるだけで、本当の理由は違うところにあると思います’