ブラッドワーク

ブラッド・ワーク [DVD]
DVD。
特典のメイキングはネタバレしているので、本編を観終わった後にどうぞ。
おそらくハリウッドで、ということは世界中でと同じことだが、一番自由に映画を作っているイーストウッドの選んだ美学は、役者の顔に影を落とすことで、作り物のウソくささを回避する画面作りだった。
それはアメリカではインディーズ映画、一度は映画の黄金期を迎えたことのある国では、リアリティの追求として当たり前のことだけど、メジャー映画会社の重役が見たら「顔が見えんじゃないか!」と卒倒するだろう、彼らの地位とアイデンティティを崩壊されるに十分な爆弾だ。
かつての撮影所システムとしては常識ですけど、このようなアホらしいことが、現在ふたたびハリウッドでは起こっているような気がする。ようするにきれいに照明を当てて、露出を絞ったシャープな映像を作らないと商品にならないということ。まあそのお陰でいまも黄金期の映画をDVDで美しく観られるわけではあるが。もっともその反発がアメリカン・ニューシネマへと行き着いたわけで。
ヨーロッパ型自然光照明がハリウッドをも席巻したのは、ネストール・アルメンドロスヴィットリオ・ストラーロなどが輸入された1980年代だったが、シネコン、DVDソフトの普及やCGとの合成やCM、PV出身の商品撮影に長けた者たちの進出によって再び、映画=商品価値(コンテンツ(笑))の考えが幅を利かし出したように思える。
イーストウッドは映画の完成度のために照明の数を減らした。(低予算のためではない、…たぶん)。
撮影にいつものジャック・N・グリーンではなく、彼の照明技師だったトム・スターンを抜擢している(これがデビュー作で次作の『ミスティック・リバー』も担当)のにも理由がありそうだ。調べるとグリーンとのコンビは解消したようです。
いまのイーストウッドの求める暗さは、『ペイルライダー』のころのブルース・サーティスがつくり上げた闇とはまた違う。外光と区別がつかないほど自然なライティングを駆使したものだ。それでいながら画面がのっぺりしないのは、役者の顔に影を落としているためだ。その試みはほぼ完成したように思える。また廃船のシーンでの暗闇の照明とも、違和感なくうまく繋がっているようにも思える。さりげなく美しい画面を作れるセンスは、他に誰も思いつかない。

まあ老齢のために走れないので、アクションシーンはカット割りが細かくなり、リズムが性急になるという難はあるにせよ(スタント・コーディネーターは懐かしや、子分のバディ・ヴァン・ホーンだ!)、クルマを散弾銃で撃つシーンは、あまり興味のないはずのアクション描写も少しは巧くなったのねと思えた。
またマーケッティングのために、人口の多いヒスパニックを取り入れたりする潔さもあいかわらずだ(特典映像でヒスパニック系の役者によるスペイン語のインタビューがある)。商売人と政治家と映画監督と俳優のバランスが取れている珍しい人だねえ。

相変わらず卑怯に突然、相手の背中から撃つし。基本的に受け身なのだが、それでいて相手を必ず出し抜くゼッタイに正しい男だしね。イーストウッドと誰かが会話するときの切り返しでは、目線の切り返しではなく自分の背中を入れ込むという謙虚なんだか出たがりなのだかわからないカットが目立つ(要するに後ろ姿が多いのです)。

そんなことはどうでも良い。ドーナッツをむさ苦しい三人の男たちが食べるシーンを、こんなに魅力的に描ける人を私は知らない。役者の演技を引き出す無駄のない演出力は観ていてうっとりとする。特に引いた構図で複数人が演技するときなど、「映画だよこれが」と当たり前のことを再認してしまう。手の動き、ちょっとした仕草や間の取り方で、一歩間違うとステロタイプになる貧乏さや黒人、メキシコ人、アジア人の描写が、それを奥行きの深いものに変わる手腕に唸る。

原作本の『わが心臓の痛み』を先に読み終わっていたけど、映画の方は後半ストーリーが変わっています。良き脚色だと思います。
メイキングでは、本編にない会話が出てきていたので、かなり無駄口をカットをしたよう模様です。それでも2時間あるのですなあ。ストーリーを追いかけられるぎりぎりの省略ですね。映画で意味がわからなくなって、あっさりと描かれすぎているなあと感じる部分は、ちゃんと書き込まれています。FBIプロファイラー対連続殺人鬼というちょっと前の流行りの設定であるけど、後半に明かされる非情なテーマのお陰で陳腐さを免れています。