ニコラス・レイの評伝を読んでいる

個人的には日本人でベルイマンとレイがわかると言っている奴は信用できないと思っている。それはともかく、「彼は才能があったが、撮影所のプロデューサーをはじめとするカネの亡者たちが彼を押しつぶしたのだ。しかしそれでも彼の刻印はどの映画にも存在する」という紋切り調はそろそろやめにしません。
映画作りってもっとドタバタだし、そもそもだれかがカネを出さないとなにもはじまらないし、その人物が口を出すのは当たり前のことなのだから。作家純潔主義は、映画学徒の妄想としては美しいかもしれないけれど現実的ではない。
そんなことを思うのもまたぞろ『キル・ビル』について考えてしまったからだ。バカ映画、映画以前といわれてもいるが、あの映画を作るということはものすごい勇気がいることだよね。進んでバカをやるなんて間違えば自身の映画監督生命を断たれる危険もある綱渡りだと思うよ。予算の額が半端じゃないんだから。
その賭けに出られたのは何故か?彼のなかにあるプロデュース能力だろう。ハリウッドが撮影所の叩き上げのプロデューサーから、数字しか読めないプロデューサーの世界になってしまったいま、企画ができて、シナリオが書けて読めて、製作をコントロールして、宣伝までこなせるプロデューサー=監督がどれだけいるのか。タランティーノロバート・ロドリゲスリチャード・リンクレイターケビン・スミスピーター・ジャクソン。彼らをいままでの映画監督の延長に置くと理解できなかったが、こうすれば分かりやすくならないか。
「映画監督をミュージシャンという比喩で考える」。
ミュージシャンにはどんな固有名詞をいれてもいいけど、自分の世界があり、自分で作詞作曲演奏ができて、自分の商品能力がわかっていて、なによりも音楽が好きでそのためには広くなんでも首を突っ込むことができる。決して目標は紅白出場では無い。好きに時間をかけて自分が納得したアルバムを作り、完成したらツアーに出る。そんなアーティスト(むず痒いがこの言葉を使う)をイメージしてください。
では、業界を生き抜くためにはどうするか。自分でプロデュースする、あるいは信頼できるプロデューサーに依頼する。もちろん時間をかけて曲作りはできるし、必要な音源を見つけることもできる。参加ミュージシャン選ぶことができる。もそれだけの音楽について知識の積み重ねがある。もちろんまわりも一流のメンバーや機材があるに越したことはないが、なければ自分でなにもかもやってしまうし、できるように規模を縮小したりもできる。それでも質には影響を出さない。それだけじゃ商品価値が足りないと思うと、ジャケット宣伝やツアーも積極的に行う。音楽が好きだから他のニュージシャンのレコーディングやツアーにも参加したりする。そういうお遊びで自分の価値が下がるとか思ったりしない。
どうですか?これを上記の監督たちに当てはめてみては。類似点がたくさんみつかると思います。同世代でもウォシャウスキー兄弟のように、プロデューサーのジョエル・シルバーによってブロックバスター化された監督もいる。もっとも彼らにプロデューサーの暴走を押さえる演出・製作力があったかというと別問題だけど。ある意味一発屋ですな。
これまでの世代は、撮影所に雇われた監督で、芸術のためなら湯水の如くカネを使い編集権を賭けて一歩も引かないで、うまく行ったら俺の手柄で失敗したらプロデューサーか観客のせいという、小説家や職人の延長だったと思う(いまもこういうのだけを芸術家というかどうかは見解の問題ですが)。
つまり時代とともにどう変わったかです。ハリウッド第9世代、映画学科出身の世代で最初に撮影所に入ってきた者たちですが、彼らに共通する部分だけをとらえたなら、縁故でなしでハリウッドに潜り込んで、メジャーで自分の好きに大作を作ることが自分の監督としての成功だという概念。これが既に古いということですね。スコセッシがいい例でしょう。NYで自主映画を作り続けた映画ヲタクがハリウッドに取り込まれて、もう小さい規模の映画は作れなくなってしまったということ。完全な自家中毒でしょう。時代に流されたまま解散後も何度も再結成するロック・グループみたいに思えるし、スピルバーグは、マイケル・ジャクソンみたいなものだ。
うーん、うまくまとまらないが、まず映画産業が音楽産業に似てきた。映画の売り方が変わった。映画監督の位置づけが変わった。映画がもっと個人的なものに変わった。別に芸術家だけが個人的な映画を作れるわけではない。映画産業のなかでも個人的な映画を作れ売る時代になったと言うことなのだろうなあ。(ちょっと違うかな?)