マカロニ大全

マカロニ・アクション大全―剣と拳銃の鎮魂曲 (映画秘宝)

マカロニ・アクション大全―剣と拳銃の鎮魂曲 (映画秘宝)

これって、20年前のキネ旬で一番浮いていた連載の「イタリアン・アクションの誇りと栄光」だったのね。知っていたら早く読んだのにさあ。と言いながら私に読む資格があるんだろうかと悩む。なぜならここに載っているマカロニ・ウエスタンをはじめとする映画をほとんど観ていないから。なんでかなあと思ったが著者の説明で、はっと思った。
わたしなんかが映画を意識的に見始めたのはやはり、『ジョーズ』、『タワーリングインフェルノ』『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』の70年代後半あたりで、イタリアン・アクションはその前の時代なのですね。アメリカ映画がヘイズ・コード(検閲)のせいで時代遅れになり不調な時期でもありながら、実はみんな西部劇を観たかった。そこで本音の西部劇が出てきて世界中が吃驚したのがマカロニ・ウエスタンだったということ。それが60年代中後半。
もうひとつはその頃の洋画の公開数を観ると、アメリカのアクション映画と同様に普通にイタリアン・アクションも封切られていた。その後も名画座でも三本立ての一本として延々と回っていたりしてね。アクション=アメリカ映画という図式ではなかった。いまはほとんどビデオスルーでしょう。
さらに言えば、アクション=ハリウッド超大作は、『ジョーズ』『スター・ウォーズ』以降の現象だということ。もともとアクション超大作といえば西部劇と戦争映画くらいで、あとはB級アクション映画。アクション映画=低予算だったんじゃないかなあ。低予算娯楽映画といえば「ホラー」「エロ」「アクション」が三大ジャンルだった。低予算を逆手にとって、作り手たちはハリウッドなにするものぞと各国でこれらのジャンル映画に磨きをかけていった(パクリとも言うが…)。だからマカロニ、ハマー・ホラー、香港アクション、AIP、任侠、ロマンポルノなどなど、それぞれのジャンルで傑作が生まれてきたのだと思う。
また観客もそれを普通に受け入れていたと思うよ。パチンコ行くのと同じ感覚で。何本かが受けて量産されないとジャンル(ブーム)はできないからね。
でもそれにトドメを刺したのは、やはり『ジョーズ』(76年)なのだろうね。ジャンル映画をハリウッド予算で作り、大規模公開するというやってはいけない禁じ手で世界のジャンル映画を滅亡させたと思う。いままでは「ドンパチやっているアクション映画ならなんでもいいや」と言ってたヌルい客に、「やっぱ映画はハリウッドだよな」と洗脳したのだろうねえ。ちなみにこの年に邦画と洋画の興行収入がはじめて逆転した。そして企画はますます万人(子供)向けで暴力描写だけがエスカレートして、大人の渋い(またはどうしようもない)アクション映画は消えていった。