草映画9

ゴールデンウィークに撮影するぞ!と召集したが集まったのは計3人。でもそれならそれで成立させるのが「草映画」だと勝手に思っているのでGOだ。
実は今回新兵器を買ったのだよ。それはスモークマシーンだ。スモークには2種類あって、屋外で焚く発煙筒型のものと室内で使う電気で液体を気化させて煙にするもの。プロユースだと10万円くらいするんだけど、ネットで発見したのは、屋内での音楽イベント用の小さなマシン。4800円と値段も安い。火災報知器も反応しない優れもの。
http://www.rakuten.co.jp/soundhouse/509242/509267/509408/
これがどれくらいの威力を発揮するかをテストするのだ。室内セットで大っぴらにスモークを焚くのはリドリー・スコットからじゃないかな。それはCMのテクニックだと思う。昔はスモークとかフィルターとか分かるように使うんじゃねえよ、というのが職人の誇りだったと思う。効果をスゴイでしょうと見せるのは野暮だとね。スモークを微妙に使うと室内で照明を拡散させてるので、シャープさを減じて画面に奥行きが出て、生々しさが消える。不思議な効果が出るはずなのですが、それはお楽しみということで強風の吹く千葉にまたも出掛ける。

タイトルは  『死霊の屍』


いまさ、「ゴダール全評論・全発言 Ⅲ」なんぞ読んでいる。ゴダールの本なんて久々に読んだけど面白いねえ、このオッサンは相変わらず。みなさん勘違いしているけど、ゴダールの映画が凄いんじゃなくて、ゴダールという存在を許している「映画」というものがもっとスゴイんだよね。
大体ゴダールが凄いとか言っている連中に限って、草映画とかを「シナリオが書けないからできない」とビビッて撮れないんだよねえ。ホントどこ観ているのかと思うよ。
ゴダールが面白いのは完璧な芸術映画を作っているからではなく、いつもアメリカB級映画の出来損ないの未完成品を撮っているからなのだ。
そういう意味でハスミが同じ精神の『キルビルvol.1』を気に入るのは必然であって、それがわからない、おフランス映画評論家どもは間抜けだということ。
ゴダールが推し進めている、スタンダード・サイズ、自然光、同時録音、85分という原始的な製作方法はまさに「草映画」だと思うのだけどね。さらにゴダールはそこにスペクタクルを入れてくる。アクションやエロや美男美女や原色や音と音楽のショックを。そこらを正面切って言わないけど、実に映画の面白さの本質が分かっている人なんだよねえ。『フォーエバー・モーツアルト』はちょっと観たいな。
その流れだと「草映画」の可能性って色々あるんだよねえ。ストローブ=ユイレのような端正でミニマルな映画作りだって、カウリスマキのような中年のコントだってアリだしね。誰もがカサベテスのようにマジメに撮る必要は無い。増してやハリウッド映画のように体裁を整えるなぞナンセンスだ。
問題は、映画では物語なんか分からなくてもいいのだという概念を理解して面白がり創造的な現場にまで持っていくスタッフを持てるかだけど、これは時間が掛かりますね。
草映画の面子で、自称映画好きで自宅にゴダールヨーロッパ映画やATGのビデオコレクションを持っている男が、ことある毎に「ツノダの映画はストーリーがわからない」とあたかもそれが真理であるかのようにネチネチと言うので、こちらも怒って「それほど物語が分かることが重要なのか?キミのあの映画のコレクションはどうなんだ。ストーリーがわかるのか?分からないのに何故集めるのか?それは誰かが褒めていたから集めただけだろう。持っていると格好イイと思われるからという理由じゃ、ブランド志向のバカどもと同じじゃねえか」言い返した。そういわれてもわからないようでしたがね、その意味ではハリウッド型映画でないと映画では無いという無意識の呪縛は強いです。