狼よ落日を斬れ

狼よ落日を斬れ [DVD]
BSの録画したのを観るが、…つまらん。なんか正月の12時間ドラマを3時間のダイジェストしてCMを抜いたみたい。三隅研次の最後の作品というのもあるけど、こんなところにキャメラを置くはずがないんだけども、置いてしまって、伊福部昭の音楽が浮いているのが痛々しい。孤立無援の松竹で、だれか助けられる人間がいなかったのだろうか。監督の体力気力の衰えが画面に出てしまうのだから映画は怖い。
高橋英樹はどう考えても紅顔純朴な若武者ではなく、桃太郎侍in新宿コマ劇場公演にしか見えない。さいごまでテレビのスケールだったなあ。一番威勢の良かったのが緒形拳くらいで、あとの近藤正臣あおい輝彦にしても、やっぱオッサンの若作りなんだよね。
この時代を引っ張った東映ヤクザ路線の役者が若かったことを思えば、映画って若い役者が大量に現れた時にしか盛り上がることができないことがよくわかる。逆にいえばプログラムピクチャーが終焉する80年代後半がいかに壊滅的な時代だったかがわかるでしょう。映画ではなく小劇場出身の役者ばかり。もうひとつは秋元康の等身大アイドルの手口ですね。ここで壊滅的に映画の演技というものが終わり、以後、映画スター映画俳優というのがギャグとしてしか認識されなくなる。
90年代にはそのやり方が飽きられ、今度はどいつもこいつもアートだと抜かしやがるアホタレントが跋扈して生き延びようとする一方で、大量生産大量消費の自称アイドルの隙間産業が成立する時代が来た。

やはり撮影所付きシナリオが書けない監督というのは、70年代を生き延びることが出来なかったのですね。その一方で勝新太郎がスタジオを飛び出し、テレビで「警視K」を撮り(このあいだ観たけどもすげえねえ、いまだってあれができる奴はいない)、最後の『座頭市』まで堂々現役だった事実を考えると、またプログラムピクチャーの定義も変わってくるようにも思えるのですが。
あ、でもカツシンは娯楽芸術映画監督か。