マイノリティ・リポート

マイノリティ・リポート [DVD]
スティーブン・スピルバーグ
DVD

2時間以上ある火曜サスペンス。犯人はやっぱりわかりやすいし、やたらみんな説明してくれるわで、一瞬たりとも混乱することもなかった。迷いなく全くシナリオ通りに撮ったんじゃないだろうか。ユニバーサルではなく20世紀フォックス配給ということは今回はトムの雇われ監督ということかな。
相変わらずの低予算だし、話題の未来の広告の部分だって、単なるタイアップ。あんなトヨタ・レクサスに乗りたいかね?ショッピングモールのシーンなんか、ご近所でロケして撮りましたという感じ。本来ハリウッド映画ならあのシーンで警官が数百人現われで銃撃戦で窓ガラスが割れ、照明が落下するのが本道だろう。それを数人の警官と風船の 古典的なサスペンス手法で(これを上手いとか言うなよ)あっさりとごまかしたりする。未来都市もはじめの数分ちょっと見せとけばいいやという投げやりぶり。室内セットの数の少なさは確信犯だね。
色を抜いたのも、試写の時にまったく現代にしか見えずどこが未来やねんとなり、苦肉の策でイジッたと推測する。普通予算の無いB級SFでこれをやると単なる手抜きにしかみえないのだけど、言い訳でなく表現に見せてしまうところはやはりブランドの力か?そんなプロデューサーと監督が無理なく同居する最近のスピルバーグはやはり変だ。
演出を見ていると、とりあえず、話すシーンは人が動いていれば持つので意味無く動き回るし、サスペンスシーンはカメラ位置をバンバン切替えて行く。盛り上りはドリーで近づく。シーン全体のカットのリズムがガタガタなんですわ。感情とか演技でカットしていないから登場人物が平易というのは前からみんな言うよね。いわばスイッチングで切替えるテレビの編集に近い。普通はもうワンカット入れるところを、まあ抜いても差し障りはないと、丁寧じゃない仕事ぶりは客を嘗めているね。とりあえず視覚的に飽きないように作っていくところはさすがだと思うのだが、所詮はその視覚効果だけ。
シナリオに対してのいい加減さ、PKディックの世界も無い。ハリウッド調というやつだ、しかもニューシネマ以前から変わらない勧善懲悪。三位一体の人間を超える神の存在や隠しテーマやディックの薄汚れた警官や意地が悪い上司など使えるネタは多いのに。コリン・ファレルが良い味だしているのにまったくトム・クルーズと絡まないのはいかがなもの。
スピルバーグが面白いのは、スコセッシやコッポラたちが映画を芸術とすることをヌーベルバーグ経由で学び、アメリカB級映画をお手本にしてはじめたのに結局はハリウッドに吸収されていったのに対して、スピルバーグは予算の制約とヘイズコード逃れが生み出したB級映画のスタイリッシュな格好良さを、純粋に観客を楽しませるエンターテインメントとして見ていたのではないか。それを作る側の目で徹底的に観察していたのだと思う。芸術=スタイルに拘泥(束縛)することを忌避しているのだ(そこが大学の映画学科出との違い)。
だからスピルバーグの強みは1台のキャメラでものすごい勢いで撮影でき、シーンを即興で状況に応じて変えたり、ほかの編集ができないように作れることだ。その意味だと娯楽の職人なのだろうね。いわばロジャー・コーマン・スクールに入れなかったけど、一番その素養をもっている監督だということだ。
なにかしらB級精神=作家=監督としてみることを強要されている私たちのフィルターが間違いということなのだろうか。
極端に言えばスピルバーグはハリウッドでなくても、映画監督としてやっていける才能のある、珍しいアメリカ人監督なのではないだろうか。それがたまたま映画産業の中心地にいるので大巨匠のようであり、シンボルになっているのだろう。だから評論家もどう取り上げて良いのかわからないのではないか。
「必要も無いのに美学的でなく商業的な制約を課すことで、自分のスタイルを維持する作家・スピルバーグ」が存在することになる。世界一豊かな環境で映画が撮れる人間が、自分を追い込む逆境がないと作品が作れないというのは面白い。映画を作ること自体が表現であるパフォーマンス・アーティストなのか?うーん、これってさあ大いなる矛盾なんだけど、異様にケチな金持ちみたいなものかなあ?それとも貧乏性なのか?