鮫肌男と桃尻女

 99 石井克人シネセゾン渋谷)

  現在ニッポンにおいて、映画という表現はオシャレなのだろうか。否、設問が違うな。映画はオシャレに作れるものなのだろうか。世の中には、黙っていても面白い映画を作ってしまう人とどうあがいても無理だ、という人がいる。
 平日の昼間の渋谷シネセゾンは若い人で7割くらいの入りだった。何を求めて観に来ているんだろう。確かに仕掛けに抜かりは無い。浅野忠信主演、望月峯太郎原作、CMを撮っている映像や衣装へのこだわり、照明へのこだわり。音響効果の細かさ。若人あきら島田洋八などのキャスティング。チラシへのアートディレクションの細かさ。話題性は抜群である。
 しかし、上映中ずっとノレない違和感を感じていた。それは、全てが借り物であるところに一因があるんじゃないだろうか。如何にもオモシロイでしょうという部分が多すぎる。おいしいとこ取りといっっても良い。センスの問題かも知れない。『ソナチネ』で、チャンバラトリオのリーダーを殺し屋として出すのと、若人あきらを出演させるのは、明らかに映画に対する監督のセンスの違いを示している。(分かるかなあ)。浅野忠信はキクチタケオを着た浅野忠信にしか見えないし、北野映画で浮いている寺島進が一番浮いていない演技をしているとは、如何に全員にこてこての演技をさせているのかが分かる。
 それがオモシロイとこだわりだと考える監督は、映画に対する勘違いをしていると思う。細部へのこだわりがCMなのかも知れないが、映画の細部へのこだわりとは別のもの と考えられる。 映画のダイナミズム、力技は15秒と90分の違いだと思う。ある種の大胆さが無いと90分間、嘘をつき通すことは難しい。 それが映画を撮るものに必要な技術だと思うのだが。
 確かに、細部にこだわり、お金をかけることは重要だと思うし、ただ貧乏くさいもの、いつの時代の映画だ?というのを見せられるよりは野心に満ち溢れて頑張っているのだが、映画が弾まないんだ。パクリを露骨にやりすぎているというか、細かいところに凝りすぎている、全編凝っているので映画のテンションが満遍なくなってメリハリがつかないんだね。そう、画面が、エモーションで埋まっていないんだ。美術とかでは、埋まっているけどね。それは、映画とは関係ないところのオハナシなんで………………。
 なんか、タランティーノ北野武以降、映像で物語とか登場人物の感情を語ろうとする新人監督がほとんどいなくなったんじゃないのだろうか?タランティーノは別の意味で頑張っていると思うのだが、まあ、ジム・ジャームッシュ以降としておこう、オフビートでカメラを長回しすれば映画になるというか観客にオモシロイでしょと言っている映画が多すぎる。確かに、カメラ、フィルム、照明技術は上がったのでよりナチュラルなシャープな映像が得られることで画面だけを観ていても持つ部分もあるけど、映画として成立させるにはどうすればよいか、その戦略に欠けている映画が多すぎるのではないだろうか。いわば真のエンターテインメント性が見えて伝わってこないのだ。
 そういう意味では、物語を成立させるのが困難な時代とは言えるが映画って単純さが集まって結果、複雑に出来ていると、かのフランスの監督も言っているが、名言だと思う。演出ってある種の想いだと思うんだけどね、センスを伴った(これ重要)。
 今後、CM、MTV関係出身の監督が増えると思うけど、ストイックにシナリオ段階からチェックできるプロデューサーがいないと、監督がしっかりしていない限り、同じ間違いはいつでも起こる。
(角田)