子猫が読む乱暴者日記

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)

 あいかわらずのの狂暴さはわかりにくく、どこにも組しない孤高あるいは孤独さを巻き散らしている点では、かれの評論集 「ソドムの映画市」の続編ともいえよう。その語り口は鬱屈を評論という形にこだわらず、不機嫌なまでのつぶやきに変えながら唐突に枚数になったから投げ出すように終わる。
 これを小説の流れに位置させるかどうかは、評論家次第なのだけど、著者はたぶんそのようなカテゴリー分類をも拒否する ことを視野に入れながら書いているのだろう。かれにとって小説は、なにかを表現する昇華されたアウトプット・ツール(情念)ではなく、選択肢のひとつ(怨念)に過ぎないのだから。映画や音楽のように様々な解釈は甘受するが、体験することによってのみたのしめることを書き示しているといえる。