少林サッカー

少林サッカー デラックス版 [DVD]
02 チャウ・シンチー (Tジョイ大泉)

なに一つ確かなことはない昨今だが、日本では2002年はW杯開催の年ではなく、少林サッカーの年として後年まで 語られることは間違いないだろう。
少年ジャンプのかつての(いまは知らないが)三大要素として、「友情」「努力」「勝利」を入れる鉄則があった。常に 変化を生み出さねばならない消費社会の流れの中、会議ではマーケティングという統計のウソに踊らされ、いつ間にか そのテーゼは古いということになって、出来の悪いRPGのタイアップマンガしか読めなくなった。部数が伸びなくなったの は少子化や多様化のせいではない。そのことはこの映画が証明している。ただ 作り手が自分を信じられなくなったと いうことだけなんだろう。
こんな話を、いま日本で会議に出したら間違い無くつぶされるだろう。キミはいまのトレンドがわかっていないね。どこ が新しいのかね、と。映画の企画をつぶすのは簡単だ。娯楽には芸術性を、芸術には採算性を求めればいい。だれも 観客の方を向いていない。いや自分が観客ですらない。 観客は本気にしてくれる映画を探している。斜め読みしな きゃならないような映画の蔓延に飽き飽きしている。
この映画が素晴らしいのは、そんな条件のなか、退行的に安直な企画ものに安住せず(「少林」と「サッカー」の組み 合わせほど安直なものはないだろう)、ほんとうに観客に信じさせたいし、もちろん 自分たちが信じているこの物語を 語りたいという欲求が高度なテクニックの次元で結集しているのだ。でないと、あんなオープニングCGアニメの格好 良さや、ワイヤとCGの融合の超現実感(ハイパーリアリティ)は作れないと断言できる。細かいつじつまの合わない部分 を観客が無視して楽しんでくれるのも、これらの想いが伝わるから だろう。いわば作り手を観客が映画を共有するもっ とも幸福な時間を生み出しているということなのだ。
バカバカしいというのは簡単だ。でもバカバカしいことに映画の本質があると思いませんか。その想像力が映画の魅 力と考えないですか。信じられるホラ話が無くなって楽しいですか。青いユニフォーム着てテレビの前で騒ぐのがそんな に楽しいですか。いますぐ映画館に行きなさい。そこにはもっと笑えてずっと幸せな気分にしてくれる映画が待ってます。
(角田)