セルジオ・レオーネ
- 作者: クリストファーフレイリング,Christopher Frayling,鬼塚大輔
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2002/07/01
- メディア: 単行本
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レオーネの作品は、わっ長いなと思いながら観始めると絶対に途中でやめられない。席も立てない。あれだけのクローズアップがあっても、どれだけそれが長い時間続こうと、大きなスクリーンから目が離せない。
この本を読むと、レオーネという人は、映画ヲタクの始祖だというのがよくわかる。ヌーヴェルバーグの連中がアマチュア批評家出身であるのに対して、撮影所育ちのバリバリの助監督修行を積みながら、観客にアピールするエンターテインメント性、ドラマ性に最大限の価値を求める。だからレオーネの西部劇の細部は、アメリカ西部劇のパクリに満ち満ちている。間違っても歴史に忠実に再現する“良心的な映画作家”とは一線を画しているのだ。画面で見栄えがするのが一番なのだ。晩年は偉大なマエストロとして国際映画祭・映画批評家業界から持ち上げられたので、いわゆるヨーロッパ型の映画作家の系譜として捉えられがちになるが、ここを読み違えるとレオーネがわからなくなる。
ひたすらカッコ良さを生み出す映画的なセンスが抜群なのだ。映画を生み出す素養は、ヨーロッパ的な歴史や文学の流れにはまったく無く、ひたすらアメリカ映画。その名作のあのシーン、あの俳優のあのポーズ。それをひねくれた子どもの悪戯で解釈するとき、レオーネ映画は光り輝く。
暴力の表現は、時代が求めた無意識というのがあるとは思うのだが、ハリウッド映画では決闘の撃ち合いを、撃つ側、撃たれる側を同一画面に入れてはいけない検閲ルールがあったという。
そのお上品さに比べれば、悪ガキは必ず子どもの残酷なまなざしをもっている。それを映画として昇華しようとしながら、ぎゅうぎゅうに詰め込んだオモチャ箱をひっくり返したようなスペクタクルまで拡げたのがセルジオ・レオーネだったのではないか。
それはクリント・イーストウッドが評するように、「西部劇のイタリアオペラ化」だったのかもしれない。
ちなみにイーストウッドのトレードマークのかすれた低音の喋り方は、『荒野の用心棒』でイタリア語吹き替えの声をマネして作り上げた…という説があるそうだ。
ジョン・カーペンターが自分の結婚式で『ウェスタン』のテーマ曲を流した、というのはちょっとイイ話。(名曲だよな、いつ聴いても涙ぐんでしまう…)
本書は解釈の押し付けがないところが共感が持てる。ちょっと詰め込みすぎの感があって、整理がついていなくて読みづらいところもあるが、エピソードが満載なので、好きなことろから拾い読みしていくのが良いです。
■レオーネのドキュメンタリー(全8本)
■著者、クリストファー・フレイリングの案内による『ウェスタン』のドキュメンタリー