佐藤勝 銀幕の交響曲

佐藤勝 銀幕の交響楽(シンフォニー)

佐藤勝 銀幕の交響楽(シンフォニー)

生涯に映画音楽をおよそ300本担当した、佐藤勝は、昭和3年北海道留萌市の料亭の四男に生まれた。音楽と映画が好きな彼は、上京して国立音楽学校(現大学)に入学。昭和20年の敗戦が来て価値観が変わる時代に遭遇し、青年らしく疑問を抱き途中休学をするが、1年後復学し合計6年間通うことになる。
進路に悩み卒業を控えた時期に黒沢明の『羅生門』を観て、音楽の早坂文雄の下に押しかけて内弟子になる。
だから彼は、生活費を稼ぐために映画音楽を担当した現代音楽家たちとはちがい、最初から映画音楽家を目指していたのだ。このことが佐藤勝の映画音楽を特別にしているといっても過言でもないだろう。だから彼は積極的に作品に係わり、現場にも出向き、監督とも個人的な親交を深める。
早坂文雄からは、直接的な音楽について教えはほとんど受けていないという。ただ作り手としての映画に対する考え方や姿勢を学んだという。

そうした早坂の教えとして佐藤がよく例に出したのがセンチメンタリズムとリリシズムの違いである。センチメンタルな音楽は音量を上げたら受け手に感情を押し付けることになって邪魔になる。悲しい場面で音楽も一緒になって泣いたら感情過多となって逆効果になる。リリシズムはそれとは違う。映画音楽作曲家はそのリリシズムを追及していかなければいけない。これは音楽に限らない。役者の演技にもキャメラにもいえる。いいものは決して邪魔にならない。このような考え方である。


病弱な師に代わり、佐藤は溝口や黒沢と音楽打合せをしたり、いくつかの作曲やオーケストレーションを担当した。この時期、早坂の門下には武満徹もいた。のちに『狂った果実』で、佐藤は武満と共作することになる。
一本立ちをした佐藤は、黒沢映画でよく知られるようになった。わたしもそういう印象だった。
しかし実は多くの監督と名コンビを築いていた。岡本喜八沢島忠山本薩夫五社英雄蔵原惟繕森崎東田坂具隆の多くの作品を担当している。
さらに著者はプログラムピクチャー、特に日活アクションや東宝歌謡映画のキャバレーやムード歌謡シーンの、音楽パターンの多くを負っているとも指摘している。気付いてないけれどそういわれるとそうなのかもしれないです。


わたしが興味を持ったは、新しい試みや楽器を積極的に取り入れていく姿勢とその若々しさの部分だ。
岡本喜八の『ブルー・クリスマス』(1978)でエンディングで人気ギタリストCharの歌う曲が流れた。作曲は佐藤がしてCharが編曲だ。そのことも驚きだが、その頃から映画の内容と関係ないエンディング曲が入るようになったという。
『陽炎』(1991)では佐藤の知らないところでエンディング曲が差し替えられ、聖飢魔?の曲が流れた。プロデューサーからは「主題歌を入れましたけどよろしく」という電話。
映画の余韻を壊し、観客の神経を逆なでする、無関係のエンディング曲だが、そのときすでに佐藤の確固たるアプローチを作り上げていた。
『将軍家光の乱心 激突』(1989/降旗康男)のとき主題歌を担当するTHE ALFEと打合せをして、かれらに「とにかく格好いい曲を書いて」と要望し、期待に応えて出来上がった曲をテープ編集して使った。

正面から馬がググッーと移動するところで曲の一番乗る部分をつけたり、カット変わりで間奏にするとかね。あれはコツがあるんですよ。それはまだ理論体系づけられていないし、また僕以外にやる人は少ないんだけどね。でも、僕はそういう実験をやるのが好きなんだ。これに関しては、作曲家というより音楽監督としての仕事とは言えますね。


すごく観たいネエ。


著者、小林淳の本はいつもリスペクトの気持ちに溢れていて読んでいて気持ちが良い。一本一本の映画ごとに楽器の編成など詳細な分析がなされている。
佐藤の自身の言葉で語られた本もぜひ読みたい。
次からクレジットに「音楽 佐藤勝」の文字を見ると、また映画の見方が変わっていくと思う。そんな楽しみを抱かせてくれる本です。
CDのライナーノーツも面白そうだ、さがしてみよう。

音のない映画館

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300/40その画(え)・音・人

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