伝・日本映画の黄金時代

伝・日本映画の黄金時代

伝・日本映画の黄金時代

児井英生プロデューサーは、日活アクション映画でよく見る名前だけど、鈴木清順を擁護したと云われる江守重役と区別が付いてなかった。本書を読むとなんと児井は日活の社員プロデューサーじゃなくて、フリーのプロデューサーだと云うことがわかった。ただ外様は製作ではなく、企画とクレジットされた。
その経歴は、衣笠貞之助との出会いで映画界に入ることからはじまる。戦前の日活等で18本を監督したあとプロデューサーへ転進する。
東宝小津安二郎の『宗方姉妹』、赤字を背負いながらも溝口健ニの『西鶴一代女』を製作。そのあと日活で契約プロデューサーになる。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」の原作者に、なぜか国会議員の原健三郎を名前があったかというと、彼は児井の大学時代の学友であったからだ。原は戦前アメリカに留学しており、ハリウッドにも出入りしていたので、その知恵を拝借してあのシリーズが出来上がったとのこと。へぇ、いろんなことがあって面白いですなあ。
また『ギターを持った渡り鳥』というタイトルは井上梅次監督が考えたが、彼が女優、月丘夢路と結婚したのが会社には不興であり、そのために日活を去ることになったということだ。ともあれ、この作品が「無国籍映画」といういままでの日本映画にはなかった一大ジャンルを築いたことは確かだ。
鈴木清順との思い出は、『くたばれ愚連隊』と『東京騎士団』の二本が黒字だったこと。それはプロデューサーとして、がっちりとまわりを固めたからだという。

(前略)撮る映画、撮る映画すべて赤字なのである。ついには業をにやした堀社長の「鈴木には撮らすな」という厳命が下り、開店休業の状態。しかし、批評家好みだから、看板監督にして手放さない。まるで蛇の生殺しである。(中略)
鈴木監督にしてみれば不本意だったらしく、後に私にこうぼやいていた。
「ボクが一番いやだと思っている作品だけが黒字になって、いいと思うものは全然黒にならない。なんで児井さんのだけが黒なんでしょうね」

そして日活後期の、昭和43(1968)年に撮った『女浮世風呂』『ある色魔の告白 色欲の果て』『秘帳 女浮世絵草子』が、のちにロマン・ポルノのヒントになったのではないかと云っている。

児井英生フィルモグラフィー