富の未来(下)

富の未来 下巻

富の未来 下巻

下巻は上巻で提示された未来図を、アメリカ、日本、中国、韓国、インド、ブラジル、ヨーロッパの各国の動きを通じて検証する。果たして富の未来に向けて世界は動いているのか。
答えはイエスでもありノーでもある。もちろん未来はだれにもわからない。何が起きるのかもわからない。
でもいま起きているのは、農業社会の時代が産業革命により工業社会へと、すべてが変わった時と同じような大きな社会の変動だ。各地域での時間差はあるが、確実に工業社会時代から次の知識社会時代への移行は進んでいる。
今、工業化社会では機能してきた多くの制度が機能不全に陥っている。教育、企業、官僚、医療、警察、司法、そして20世紀後半を象徴する核家族すら崩壊しつつある。不正、スキャンダルによって、これまでの公的な機関が、工場で働く人間のために機能させていた社会の根幹を支えていた仕組みが働かなくなったことは誰の目にも明らかだ。新しい制度やインフラが必要なのだ。インターネットにおける著作権、頒布権にしても、石油に代わる代替エネルギーにしても、新薬の販売や、遺伝子組み換え食品も、またはNGOや政府にできない民間組織、技術があるのにも係わらず制度が確立されていないために充分に機能していない。
これらの変化を拒んでいるものは既得権益で権力を維持しているグループだ。農業社会で云えば荘園領主、それに連なる騎士、僧侶、名主などの支配層。そこから派生して農民までたどり着く。産業革命のときに起こったラッダイト運動もその延長にある。
確かに産業革命は、農村社会を破壊し都市に人口を流出させた。逆にいえばその結果によって、都市文明が興り、いまの時代がはじまった。
20世紀、私たちは今まで存在しなかったものを受け入れてきた。クルマ、電話、ラジオ、航空機。いまは当たり前に思えるものもそれまで地球上にはなかったものだ。本書で提示されていることもSFだと片付けても良いだろうが、あり得る未来の姿と捉えても良いのではないだろうか。
著者はアメリカがいま世界中からバッシングされながらも進んでいるあり方には、まだ人類が経験していない知識社会時代という新しい社会の向けての苦しみなのではないかと云っている。
また日本が、アメリカとは違う形の知識社会時代を築くことができるのではないかとも指摘する。発展が著しい中国やインドは工業社会化と知識社会化を同時に進行させているという。
トフラーの描く未来は明るいが、単純なユートピア思想ではない。現実に基づいていてその潮目を見つめているのだと思う。様々なキーワードが散りばめられた本書はこの忙しく変化する時代を考えるに当たって充分に刺激的な指南書です。