レッド・パージ・ハリウッド

レッドパージ・ハリウッド――赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝

レッドパージ・ハリウッド――赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝

すでにこのサイトで読んでいる方も多いと思われますが(ここがまだ現在進行形なのはスゴイ)、改めてまとめられたものを読むとアメリカ映画に吹き荒れた不毛の戦いを感じることが出来ます。そこで分断され失われたものは数年前のアカデミー賞特別賞を受け取ったエリア・カザンと受け渡したマーティン・スコセッシまで及ぶわけで、いまも赤狩りのすべてが解決され解明されているわけでもない。
赤狩りについての概論的なことはある程度飛ばしているので、まず簡単にそのあたりを知ってから入ると理解しやすいと思います。それにしても、第二次世界大戦前のブロードウェイあたりを中心とした東海岸のインテリ演劇人や作家たちが、のほほんとしたハリウッドに乗り込んできて、ガツンとした映画を作っていたことがよくわかります。
一方でニューデイル政策以後、台頭してきた左翼、共産党運動、労働運動とドキュメンタリーの出会いが、どのようなレッド・パージの人物相関を作り上げていたのか。またブラックリストに載った作家たちの受け皿となったニューヨークのテレビ局スタッフの存在が語られ、そこにシドニー・ルメットの名前を見つけたりするとなんだかうれしくなる。
謎の大立者シナリオライターフィリップ・ヨーダンのカツドウ屋ぶりについては本当に唖然とする。本物のギャングと云われた低予算映画のモノグラムピクチャーのキング兄弟すら手玉に取るのだから。
まだまだ観ていない映画、日本未公開のカルトクラッシックの映画がたくさん出てきます。そこにはアメリカの資本主義の人間たちの暗部が描かれている。そしてそれらは、赤狩りにあった作家、製作者、俳優たちによって作られてきた。
夢の工場、ハリウッドスタジオシステムの崩壊でようやく検閲が緩み、アメリカンニューシネマから現代社会を描くことができるようになったというのは古い教科書であって、敗戦後の日本には占領軍(アメリカ)の政策で明るいハリウッド映画しか入ってこなかったことは事実であり、それが長い間、いやいまもアメリカ映画の定義とされ続けているが、実はそれ以前にすでに刺激的で現代的な娯楽作品があったことを教えてくれる。
「60年代アメリカ映画」と併読するとわかりやすいです。