複眼の映像

複眼の映像 私と黒澤明

複眼の映像 私と黒澤明

脚本家橋本忍の目から見た黒沢明像です。彼は伊丹万作の弟子としてそのキャリアをスタートし、『羅生門』『生きる』『七人の侍』などで共に黒沢映画を生み出した。いまでは『幻の湖』の監督として知られるのかもしれません。
黒沢との長年の付き合いの中で、その共同作業について誇るでもなく、黒沢を巷間に伝えられる暴君でもなく、ひとりの映画人として簡潔に淡々と書き綴っている。黒沢映画の肝をシナリオに置き、現場の証人ならではの視点で、黒沢映画がどのように出来上がり、後年に従いどのように変化していったのか、またシナリオに共同脚本のライターの橋本、小国英雄菊島隆三らの個性と技法がどのように影響したのかを読み解いていて、いままで見逃していた視点を指摘していて、なるほどそういう観方があるのかと感心する。
七人の侍』が、『侍の一日』と『日本剣豪列伝』という流れた企画の上に成り立ったのは興味深い。前者の考証第一のリアリズム志向からなり、後者のエピソード優先の活劇志向であった。この二つが奇跡的に合致した果てに生まれたのが『七人の侍』というのが面白い。言われて見ると偶然ながら、必然としてそれが黒沢映画の骨法であったことは確かだ。
しかし『七人の侍』以後、黒沢は『生きものの記録』から共同脚本のやりかたを変えた。それまでの「ライター先行型」から「いきなり決定稿」に。要するにキャラクターや設定を徹底的に固めるところからはじめるやり方から、執筆の現場でのひらめきに身を任せる、ある意味で即興芸術性、言い換えれば頭上の論理を優先するやり方への変化だ。成功すれば面白いが空中分解する危険性も高い作法だ。
橋本はこれがいけなかったのではないかと指摘する。でもその一方で『用心棒』をはじめとするケレン味のある活劇を生み出すことになったと思う。
著者が彼のシナリオが如く分析的に書いているから、これ以上は読む楽しみがなくなるので詳細について書くのはやめます。
橋本自身のシナリオの作法やいくつかの警句もおもしろく的を得ている。『幻の湖』の失敗については小国の言葉を引いて、製作者としてのケリをつけている。

無理なシチュエーションや、不自然なシチュエーションでも、ホンは腕力で書きこなせるし、現場もそのまま通過する。しかし、最後の仕上げでフィルムが全部繋がると、根本的な大きな欠陥と失敗が間違いなく露呈してくる。この脚本にはそれらが二重三重にも絡んで重なり合っているのだ。

最後に、いまのオペラシティに国立映画撮影所を文化庁を動かして作る計画があったことを書いている。まったく知らなかったぞこれは。