黒澤明VSハリウッド

『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

ここ数年で読んだ映画本でダントツに面白い。かつ丹念な調査によるノンフィクションとしても労作です。
トラ・トラ・トラ』が、黒澤明フィルモグラフィーミッシングリンクになっているのは、ご存知の通り。いわば日本映画史のタブーとされ、有象無象の伝説や噂話ばかりが一人歩きして、真実はそれこそ「薮の中」だった。
本書は、アメリカに眠っている『トラ・トラ・トラ』の資料を漁ることで、それらの謎を解き明かそうとしている。日本語と英語で書かれたシナリオ、電報、書簡、メモ、契約書、撮影日報などなど、客観的な資料を読み解き、果たしてなにが起きたのかを探っていく。
1962年『史上最大の作戦』を当て、絶頂期にいた20世紀フォックスダリル・F・ザナックが次に選んだのが、真珠湾攻撃をめぐる“太平洋の史上最大の作戦”という二番煎じ映画だった。『史上最大の作戦』は、各国の監督が別々に撮って、それを編集して大作に仕立てたので、今回も同じ方式を目論んだ。だから日本パートは必然として日本人の映画監督を探すことになった。
ここで黒澤明を『トラ・トラ・トラ』の日本側監督に(アメリカ側はリチャード・フライシャー)、選んだプロデューサーが登場する。『真昼の決闘』でアカデミー編集賞を獲ったエルモ・ウィリアムズだ。『生きる』が好きだった彼は、黒澤を知らなかったザナック親子に、『七人の侍』と『羅生門』を見せて監督に起用を決めさせた。そして彼自身がプロデューサーとして製作に携わることになる。
アメリカ側が日本パートの職人監督を求めていたのにもかかわらず、黒澤は「ハリウッドがアタマを下げて総監督を依頼してきた」と思った、勘違いからすべてははじまった。折りしも、日本映画界ではそのスケールがゆえに予算がかかりすぎて、黒澤映画はもう撮れないだろうと言われていた時期でもあった。一方では海外での『暴走列車』の企画が頓挫した時期でもあった。
すべてが運命のように破滅に向かって動き出してしまったのだ。こうして日米、いや黒澤VSハリウッドははじまってしまった。
余りにも痛いボタンの掛け違い。監督とプロデューサーの力関係の日米の認識のちがい。製作スタイルとリスクの問題。映画芸術かそれとも職人芸なのか。商品なのか作品なのか。これらの誤解が修復不可能になって、黒澤解任事件は起きた。そこに至るまでの双方の行動や思考がまとめられていく様は、悲壮でもうひとつの黒澤映画を観ているかのようだ。様々なプレッシャーの下に黒澤が孤立していくのがわかる。そして発見されたある診断書から、解任と奇行事件の真実も垣間見える。
黒澤明が『トラ・トラ・トラ』の記者会見で奇しくも語った製作意図が、この騒ぎのすべてを言い尽くしている。
「この作品は勝利の記録でもなければ、敗北の記録でもない。一口で言えば、日米両国の誤解の記録であり、優秀な能力とエネルギーの浪費の記録です。つまり、典型的な悲劇の要素を根底にした作品といえる(後略)」
出来上った『トラ・トラ・トラ』が、オモシロイのは黒澤シナリオの骨格とプリプロダクションの部分が、それでも残っているからで、特にハリウッド映画なのに、日本海軍が知的に描かれている部分は特にそうだろう。それからB班監督が佐藤純弥だったって知ってました?