ジョゼと虎と魚たち

Date: 2004-02-07 (Sat)

ぅおおおっ、こんなところにまだ潜んでおったか、妖怪80年代自主映画!
坂道を望遠で撮ったり、とりあえず二人乗りしたり、海に行って手持ちキャメラで波打ちぎわを歩いたりするのは法律で禁止してほしい。
映画のシナリオも画面のつくりも全部マンガじゃん。しかもかなり古い少女マンガ。
すべて雰囲気だけで曖昧に物事が進み、なんの葛藤のドラマもないままに、やたらものわかりが良い人物たちが、物語が要求する通りのその場限りの感傷を垂れ流す。
人物はまったく成長しないし(ん?成長しているって、そう受け取れって観客に強要しているだけだよ具体的になにひとつ描いてない)、その関係性もまったく変らない。
こんな都合の良いだけのもんでいいの?現実感の無いまま、生活感のあるヘビーなところは全部端折って、恋愛事象を中心にほかのことは大した事ではないかのようにキレイ事だけで進行する。『タイタニック』と同じ話法の構造だよ。大枠はわかりやすい事実で埋めて、そのなかで身分違いの色恋沙汰をするという。
確かに80年代自主映画は暗くてダサくて汚くて生活感が充溢する70年代日本映画へのアンチテーゼで出てきた。ただそれだけだと、結局は感性と生活感が学生くらいで止まっている人にしか通用しないというのも事実だと思うがね。
物語は「すけこま」クン妻夫木の「ぼ、ぼくは“やれること”はすべてヤリました」青春探訪記だよな。池脇千鶴も故ミヤコ蝶々が憑依したような熱演だけど、本当は「おもしろうてやがてかなしき」にならないとねえ。最初から最後までトーンが同じだもん。決定的なのは乳母車の最初の出会いが、なぜ妻夫木のリアクションショットから入るのか?そういうところだけマトモな繋ぎにならないようにするというのはなんだかなあ。
ほかにも書きたいけど虚しいので止めます。