月形半平太

月形半平太 [VHS]
マキノ雅弘 S36)を観たんだけど、自伝によるとこれを2週間で撮ったということに驚き、この年6本監督しているという事実にさらに驚愕する。
一度きちんと分析しないとわからないが、キャメラの置く位置の順番がほとんど予測がつかないけど、観ていて気持ちがいいのだから、滅茶苦茶なところには据えていないことがわかる。しかしある種の法則性がないと早撮りというのは絶対にできない。でも全然わからない。それが演出でありほんとうの職人芸なのだろう。
じっくり観ていると、シーンまるごと抜けていて話が飛んでいるところがいくつかあるので、ここらは間に合わないし、飛ばしてもなんとかなるでしょうと撮影しない潔さが見て取れる。それでも面白くしたるわ!というカツドウヤの意地かもしれないが。
それでいて手抜きになるか簡潔になるかのギリギリのラインで、すっ飛ばす語り口の妙がマキノ映画の魅力であることは確かだろう。これほどどんな条件下でも映画の質が変わらない監督も珍しい。
それを支えたスタッフ、観客の共通の下地には、歌舞伎、新国劇浪曲、講談の定番の物語や所作のお約束事が、娯楽=大衆劇=大衆文化としてあり、その延長上に時代劇映画もあったのではないだろうか。当たり前のことかもしれないが。
だから同時代的に互いに「理解できるベースが既にある」ことを前提にして、野暮なことは説明しないで作ることができたのではないか。
映画を当たり前に娯楽として身体で面白がるんじゃなく、まず芸術としてアタマで理解しなくちゃいけないと洗脳されて、
その辺の基本が入っていない私たちが観ると、ただもの凄いスピードで物語が転がっているように思えるのだろう。たぶんにそういう「あたりまえの常識」がいまでは「必要な知識」に変わってしまっているのではないか。
表面にあるものだけを観て喜んでいるのもいいけど、その奥に控えているもっと豊かな時代劇映画の時代を識る愉しみもあってもいいのではないかと思う。