ギフト

ギフト [DVD]
サム・ライミのやつね。
スパイダーマン2』の評でやたら「多いなる力には大いなる責任が伴う」というキャッチフレーズと今のブッシュ・アメリカを結び付けて云々というのをやたらみかけたけど、なんか納得いかなかったんだよね。だって史上最大規模の制作費を使いながらも、『呪怨』の清水祟の映画を製作するという相変わらずのヲタク番長が、そんなストレートな球を投げてくるはずが無いのだから!
『ギフト』を観て確信したのは、サム・ライミ映画の「力」というのは、行使する権力(power)じゃなくて、自分では制御できない力なんだよね。そういう運命に対してどう葛藤するかがストーリーの骨格なわけ。
そのあたりがすべてをpowerで解決しようとする最近のアメコミ映画の主人公の浅墓さと違って、ライミや彼らの世代の持つSFやコミック世界観、たとえば、デヴィッド・クローネンバーグデヴィッド・リンチティム・バートン(ちょっと違うかな?)らの持つダークな世界観の根底に流れるものに繋がるのだと思う。
最近の大量生産アメコミ・ヒーロー像は、抗し難い運命というストーリー・テリングの定番の肝をスルーして、彼らの異形な様をそういうものだと性格のひとつと位置づけて、彼らがすぐにキレる様子を描いて物語を進める作品が多いような気がする。
まあ敵を殺しすぎるヒーロー像というか、被害妄想気味の主役といったところか。
そしてお子様観客動員のために、暴力が適度に暗喩化されたPG(大人同伴)レートと相俟って「検閲済みの戦争のテレビ映像」と同じレベルの刺激を放出する。それはすでにアクションではなく大量殺戮でしかない。
大味と同時に幼いという感想が出てくるのもそのためじゃないかな。
超能力、この映画では予知能力だけど、その力を持った者が幸福なのか不幸なのか、それがもたらす吉凶は自分がどう動こうが抗することはできず、結局は運命として受け入れるしかない、その葛藤がヒーローもののドラマじゃないだろうか。
ハナシを単純化するに、ただキチガイや畸形が跋扈するだけの狂った社会にしてしまうのは簡単だ。『バットマン』シリーズなどはわかりやすい例だろう。まああのシリーズの場合は「疎外」という別のテーマがあるのだけどもね。ともあれ彼らの完結した世界で善と悪の戦いをしていればいいのだから。
サム・ライミの場合はそこを、矮小化した世界に回避することなしに徹底的に現在形で描こうとする。いまの現実社会風俗のなかでどういう立場に彼らがいるのかを丹念に描写する。『スパイダーマン』でも主役の生活環境が細かく美術小道具を駆使して執拗に描かれているし、『シンプルプラン』や本作でも田舎町での貧しい生活ぶりが視覚的にリアルに描かれている。それは主人公がどんなクルマに乗り、どんな服を着て、どんな家に住んでいるかまで丹念に生活を覗き見でもするかのように強調される。そのレベルで観客は登場人物への共感嫌悪感を選択させられる。そこを土台としてのリアルなダーク・ファンタジーを築き上げるのだ。
スパイダーマン』をはじめとする娯楽映画が肯定するアメリカンドリームの価値観には、「チャンスは平等にあり、正義を持っていればいつかは夢が叶う」といった希望や楽天性が表面的にはあるようにも見えるが、実は絶対に叶うはずがないのだという醒めたトーンがいつも見え隠れしているように思える。『スパイダーマン』の主人公もヒロインも成功を目指しているが、自ら進んで暗い闇の世界(含貧乏)に突き進もうとしている(ラストの暗さを思い出せ)。『シンプルプラン』にしても成功(金持ち)への道が破滅への片道切符のように描かれる。登場人物たちの社会への絶望というよりは、彼らと現実社会との間には、絶対にわかり合うことの無い「断絶」がいつも横たわっているように思える。
識り過ぎることで少しずつ心が冷めていく悲劇としてのヒーロー、ヒロイン像が常にサム・ライミの作品の中にあるのではないか。そして彼らはその環境から絶対に逃れられない。その力を濫用することは身の破滅になることを自認している謙虚な主人公でもあるのだろう。しかし自分が行動することは皆を不幸にしてしまう。間違えば地獄行きという重い十字架を背負っていることも分かっている。それが故に慎ましい生活を送ろうとする。しかし運命はそれを許さない…。そのジレンマの繰り返し。それを宿命というのだろう。サム・ライミの根底にはスコセッシやヒッチコックのような厳格な宗教の影響があるのではないだろうか?撮影現場にもスーツを着てくる、いまや珍しい監督でもあるのだから。
それにしてもケイト・ブランシェットの演技のうまさに唸る。いやべつに私が言うことでもないだろうが。あれだけの最小限の動きで豊かな情感を出せるのは大したものだなあ。あと聖なるキチガイの扱いの見事さ、演出だけど計算が行き届いているし、それがゆえにラストに向かって収束して行く深い無常感にも納得が行く。シナリオ的にもハリウッド映画の王道なのだけど、それを堂々とやってもこれだけ風格のあるものになるのだから大したものだ。
あと気づいたのは、往年のテクニカラーへの憧れだ。照明にしても色彩設計にしても意識してやっている。特にラストの屋外の絞り切った露出で影はあくまで黒く、画面の深度を深く設定して硬い画面を作っている。それでいてきらびやかな非現実的なトーンを醸し出している。『スパイダーマン』でも登場人物の昼間のスキントーンをいまのリアルな皮膚感ではなく、わざとのっぺりとしたエアブラシで書いたような明るい色調にしている。その一方で夜の照明の設計も、人物の内面の微妙な息遣いを表すような丹念な陰影を作り出していて、その芸の細かさに唸る。