狂おしい夢不良性感度の日本映画  東映三角マークになぜ惚れた!?

狂おしい夢 不良性感度の日本映画―東映三角マークになぜ惚れた!?

狂おしい夢 不良性感度の日本映画―東映三角マークになぜ惚れた!?


ここに書かれているのは、70年代半ばから80年代初めにかけての東映を中心とした日本映画のクロニクル、別名プログラムピクチャー衰亡記だ。東映実録ヤクザ路線がはじまり廃れ、一方でエログロ路線の模索、撮影所の合理化とともに映画製作本数が激減して、やがて大型投資メディアミックス型大作、角川映画の登場とともに、二本立て興行から一本立てへの流れ、と同時に自主映画畑からの新規監督たちの参入。そして長谷川和彦率いるディレクターズカンパニーが旗揚げする頃の時代。
そのなかで生粋の撮影所育ちの東映助監督たちが、新人監督として悪戦苦闘しながら出てくる様子を、ひとりの映画ファンとしての著者が限りなく優しいまなざしをもって描いている。
近頃の公開当時の文脈をまったく無視して、プログラムピクチャーを現在の視点からのみ語り、バカ映画と呼んで持ち上げて喜ぶ風潮に私は非常に不快感を持っている。バカ映画カルト映画と騒いでいる連中は、結局のところ高所から映画を見下していて、「ポーズとしてバカやっているんですよ、これが分かって笑えるオレってアタマいいなあ」、という卑小なナルシズムの成れの果てであって、間違っていても、こんなバカ映画を見て語っているんだからやっぱオレって、どうしようもないバカなんだよなあとは露とも思っていないところに虫唾が走る。
著者の姿勢はそれと正反対であり、とにかく観客として封切り館に潜み、当時の空気を最大限に含んだプログラムピクチャーをわくわくして楽しもうとすることを選ぶ。当時の東映のキャッチフレーズなら「不良性感度バツグン!」な映画だ。
地元の薄汚れた東映直営映画館でオールナイトを観たあと、睡眠不足のまま隣の喫茶店に入る。映画館と同じ経営者によると思われる狭い店は、インチキなヨーロッパ調のシャンデリアとこげ茶の木目の壁、硬い木製の椅子にガラスのテーブルの内装。熱いおしぼりと水を銀の盆に載せて、化粧の濃い無愛想なお姉さんが注文を取りに来る。モーニングセットを食べ、一息ついてそのまま昼までねばる。ぼそぼそと話題は尽きることなく延々と日本映画について語り合う至福の午前中。
その延長にこの本はある。ここに書かれているのは、自ら発刊したミニコミ誌「マイノリティ」に書かれたものを中心にしている。やっと人気が出たピラニア軍団のテレビ進出、お茶の間タレント化を諌め、スクリーンへの回帰を熱望する檄文を書き、関本郁夫にインタビューをしに京都まで出向き、デビューした澤井信一郎からは本音を聞きだすような熱いインタビューをものにする。当時蓮実重彦が澤井の処女作である松田聖子主演のアイドル映画『野菊の墓』を絶賛して、ある種の日本の映画批評界に衝撃を与えたのだけど、著者のインタビューは澤井自身のなかでもそれと並ぶほど印象深いものだったという。
また当時の空気を知るにも適書だと思います。ぴあ・オフシアター・フェスティバル(当時はこう言った)の8mm映画監督に対して行き詰っていた大手映画会社がどう動いたのか。そういう状況の中から助監督という下積みを経ずに、大森一樹や石井總互がデビューしたのが、どれだけ衝撃的だったか、もういまやわかんないだろうね。
私たちが、ビデオで追いかけネットで調べてようやく言及できる東映プログラムピクチャーについて、リアルタイムに追いかけた者だけが語れる、話の広がりはまさに豊饒としかいえない。
硬直したコピペ知識(情報)の羅列やアカデミズムからの検証ではなく、安い呑み屋でパッとしない先輩がほろ酔い加減で話してくれる、饒舌なるB級映画への偏愛に当てられ、酒に酔うのか話に酔うのかわからない、不思議な陶然とした時間を過ごさせてくれる本です。