人は大切なことも忘れてしまうから 松竹大船撮影所物語

人は大切なことも忘れてしまうから―松竹大船撮影所物語

人は大切なことも忘れてしまうから―松竹大船撮影所物語

日本映画の黄金期をスタジオ経営会社から描くとき、一番多いのが日活だ。なぜかみんな生き生きとして書かれている。その対極にあるのが本書だ。
こんなにみんな罵倒している本は読んだことがない。松竹大船の落ち込みをそのまま活字にしているようだ。橋田壽賀子に至っては消したい過去と言う。そのあたりのパースペクティブの歪みがここに表れ ている。この本ほどかつて大船で働いた人々に給与の話ばかり聞いている本はないだろう。会社がけちで機材を買ってくれないといいながらも他人の懐具合ばかり気にしている部分がいやだなあ。
またここまで小津安二郎の功罪を明らかにしてのもはじめてではないか。それが裏テーマとも読みとれる。最近の本では小津が古き良き日本映画人の象徴のように思われているけれど、大船じゃ別 格の扱いの特異な例であったことがよくわかる。カメラの厚田雄春も他の監督からはボロクソ言われる。一致した意見としては小津は芸術映画を作ったが、誰も後身を育てなかったし、彼の映画は大船調ではないということだろう。その点 で非常に政治的な人間だったのではないか。
のちにチーフ助監督さえ経験していなかった大島渚がいきなり監督になれたのも、社内的政治力に長けていたことと関係があるだろう。
また大船では小津か木下恵介渋谷実か誰に付くかで、仕事量やギャラに返ってくるという社内の派閥の論理でみんな汲々としていた。だから外から来る人間との確執がすごかったし、外に出てからも松竹出身だからといって仕事を することもなかったようだ。
全体に、松竹の通史ではなく個人史の集まりなので偏っている部分が多く、小林正樹の『人間の絛件』がやたらピックアップされたり、松竹ヌーベル・バーグへの言及が多いことはそのあたりを体験した助監督連が多いことでもある。
逆に物足りないのは、野村芳太郎や山根成行のような形で松竹を支えた人物の話がないことである。川島雄三に付いて、軽快な庶民派コメディーを山田洋次前田陽一森崎東らとともに築いてきた人物も取り上げるべきなんじゃない か。わたしの嫌いな『砂の器』が大好きという人は案外多い(なぜか地方の公務員や教師に多かったりする)。そのあたりのメンタリティーをどのように松竹が掬い上げたのか結構気になる。
歪んだパースペクティブのなかで武満徹の言葉が引き立つ。「映画音楽っていうのには特定の法則とか美学っていうのはないように思うんですよ。映画の場合は一本一本が、新しい映画音楽の方法論っていうのを作りだすんではないか と思っている。」「いろんな不自由がありながら面白いっていうのは、自分が書いた音楽が他の映像と、共同の作業のなかで、違うもののようになっていくからです。(中略)そうね、自分でも予測できないような、予測できなかったように動き はじめるっていうのかな。」