興行師たちの映画史

興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史

興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史


同世代でまともな映画評が書ける柳下毅一郎の、ある意味興味の集大成をなしていて、ようやくこういう映画本が出てくる状況になったかと喜ばしいことこの上ない。というところが対世間的、対日本映画批評界(そんなもんあるのか?)な部分ではうれしいのです。
が書物としての出来としては、?な部分が多いなあ。まとまってはいるけども、引用内容がこれって別の本で読んだよというのが多かった。その割には映画好き以外には敷居が高く、エクスプロテーション映画が巻き起こした影響がどれほどのものかを知る目安となるはずの当時の社会状況や映画の状況が書かれていなかったりする。(そのあたりのフォローと読み易さは編集の問題かもしれんが)これが新書だったらもっと素直に喜べたと思う。
ちょうど著者のインタビューが出ていて読みましたが、http://media.excite.co.jp/book/interview/200402/この人の生真面目で正統アカデミズムと映画ジャーナリズムとの距離の置き方の下手さが、そのまま実直に現われていると思う。青土社だから仕方ないのかもしれないが、ざっくりとした内容過ぎて、書き急いでいる感じが読み取れてしまう。特に最後は走りすぎている。
著者は蓮実と違うと語っているが、実は著者ほど蓮実のやれなかった(やらなかった)(やるつもりはなかったがあえてやれなかったように装っている)部分を自覚的に継承している映画評を書いている者はいないと思う。映っている画面や書かれた文章(「みんな知っていることを、そういうこれまでの映画史からはずれた新たな文脈に置いた」)だけで構成していこうとマジメに取り組もうとしている。でもね本家蓮実自身がそういう相対的な映画評を装っていても、実は彼ほど自分がリアルタイムにその映画を観ているとか、個人的な交友があることを前提として特権的なモノの言い方をしていることで、自分の書いていることに権威付け(武装)をしていることをもっと指摘してもいいんじゃないだろうか。(話が外れた)
一番の気になるのは、興行師を山師ではなく、芸術家や作家に位置においているところだ。あるいは作家主義的に解釈しやすい人物を多く取り上げているところ。興行師はまずなによりもプロデューサーだろう。だれも芸術的意義に燃えてエクスプロテション映画を作るわけじゃない。でなぜこの興行師という人種が滅亡しないか、それはてっとり早く儲かって日銭が入るからだろう。カネの話ではなく、ここではメジャーの外側にいた人たちが、過激で特異なことを追求していった系譜があると曖昧に定義付けられている。また対比すべきハリウッドというものが皆様ご存知のという風に解説されていないから、興行師は検閲を逃れて自由に映画を作ったので、それがいまは芸術として見られるという文脈になっていて、敢えてほとんどの映画が今(当時も)見るとヒドイ代物だということも省かれている。
章の割りかたはオモシロイのだが、果たして取り上げられる者たちがこれで良かったのか疑問も残る。キャノン・フィルムやカロルコなどビデオバブルについての言及は必要ではないだろうか。あとジョン・ヒューズはマストでしょう(まあ見世物という文脈には入りませんが)。メリアン・C・クーパーがCIAの前身のOSSで出会ったジョン・フォードと独立プロを立ち上げ、芸術映画を作りたいフォードを説き伏せ、絶対にウケる騎兵隊三部作を作らせたことは見世物映画史と関係無いのかなあ。
もっとも重要で生臭いカネと人間の部分を端折って、芸術とか歴史、状況のキレイごとに持っていく。そこが現在の著者の限界だと思う。それは連続殺人犯の書物でもその距離感と視点は変らないと思う。興行はいかがわしさがあっての世界なのに、それに対して書かれるのが最終章でそれもほとんどまともに書かれていないのが残念。
あとヘンな断言と誘導にあれと思うところが何箇所かあった。例えば、
「『アメリカン・バイオレンス』の脚本を書いているのが、アメリカの病理を描こうとした劇映画『タクシー・ドライバー』のポール・シュレーダーの兄レナードだというのも興味深い事実である。」
なんだこれは。レナード・シュレーダーは『太陽を盗んだ男』のシナリオを書いていて、そのプロデューサーが『アメリカン・バイオレンス』の山本又一郎であって、他には『男はつらいよ 寅次郎春の夢』『ミシマ』なども書いている。このことを著者が知らないわけがない。知らないとしたらその方が驚きだ。第一、弟が『タクシー・ドライバー』の脚本を書いているからといっても血縁関係以外にアメリカのバイオレンスに共通の興味がある証拠などどこにもないだろうが。これは単に知り合いの山本プロデューサーから来た仕事だったということしか言えないじゃないの。
『エレファントマン』と他の障害者映画を較べて、「感動ドキュメンタリーでは「文部省特選」の文字が教育的意義を強調する。」と書かれているが、国際障害者年に公開された『エレファントマン』も文部省特選だったことも付記してもいいんじゃないか。『エレファントマン』も感動ドラマだった事実のことは逆に強調すべきことだと思う。http://member.nifty.ne.jp/cyaoks/movie/tomo/kai0007.htm
著者には書誌学的ハスミイズムよりも山根山田の聞き書きなどの取材モノを挑戦してもらいたい。でないとヨモタ先生のようになってしまいます。