由美香

 97平野勝之(ビデオ)

 ビデオはどんなに大きな画面に映してもビデオであって、映画の代用品にはならない。日活ロマンポルノ末期に「ロマンX」方式というビデオ撮影、キネコ処理での公開があったが非常に違和感を感じた。とは言っても時代は変わりビデオ公開のものも多くなったが、庵野の様に「ただいくら回しても安いから」というバカな理由であっさり撮る人間もいる。彼にとっては戦略ではあろうが、少なくともそこにはビデオ撮影の選択までの苦渋はなかったろう、だからテープには情念は乗り移っていなかった。回したら写った記録だけだった。
 しかし、この作品に流れる濃密な時間は何だろう。元々アダルトビデオの『ワクワク不倫旅行』として企画されたはずの作品が、いつの間にか記録を越え、AVを越え、情念のみが念写されたごつごつとした手応えの何かに仕上がっている 。 適当な言葉が見つからない。
 監督、企画者、撮影、不倫の相手である平野勝之は、AV女優であり、不倫の相手である林由美香と自転車で最果ての地、礼文島を目指す。40日以上の旅である。
 7年前に平野はデビュー作で林に惚れてしまいずっと想いを秘めていた。そしていま再びその由美香と不倫という関係を持ち、彼女の企画物AVを撮ろうとする。その辺りが7年前と、現在とが交錯しながら巧みな編集で描かれる。平野は由美香に想いを寄せ、由美香から何か意味のある言葉を求めようとするが、由美香からはぼんやりとした言葉しか戻ってこない。そのかったるいぐずぐずした関係が描かれる裏で、会社の企画会議では、もうAVアイドルではない由美香は名前だけでは売れない、何か企画の目玉を入れろと至上命令が出る。それが達成されれば作品として出してやるという条件がつく。これがエグイ物であることは、V&R カンパニーを知る人なら分かるだろう。
 もちろん、平野は悩む。由美香をスターとして出演させたい、しかしこの条件を出すことは彼女を傷つけ自分との関係を清算されることでは無いのだろうかと。そこがこの映画のサスペンスとなっていく。
 企画が決まり動き出した、当然平野の妻にはこの不倫の事実は告げられる。「身体中から力が抜け脱力しました」というテロップで出る妻のコメント以外、妻はじっと平野のカメラを見るだけで言葉を発さず、存在をカメラの前から隠す。
 反対に由美香は、プライベートも何もかも本当に何も考えてないかのように大胆に天真爛漫に子供のように振る舞う。しかし、反動で手が付けられないナイーブな存在にもなる。その表情が物凄く良い。平野がカメラを通してじっと見て、こちらにもその表情を何度も見せてくれる。
 旅が始まり、(はっきり言ってとてもハードな旅だ)、二人の関係というか平野の内面がすごく揺れているのが、描かれ続ける。そこに自転車の疾走感、景色の開放感、どう撮ったのかわからんほどの凝った構図での撮影。そこに内面の呟きとしてのテロップがいくつも重なり、勿論ハメ撮りもありのまま混沌としたまま時間と走行距離は過ぎ去っていく。生な感情のぶつかりあいが徐々に現れ始め(といってもそんなにドラマチックなものではなく、曖昧模糊な物だが)微妙に平野と由美香の関係がすれ違っていく。
 それを淡々と詩的な映像というか徹底的に編集でいじった画が美しく切なくさせる。夜のキャンプ場の炎がスローシャッターで舞ったり、ブローアップしたザラザラの画面、深い深いオーバーラップが、アニメーションの様に丹念に編集され、テープに定着させ、どうしたら伝わるのかと、執念で描いている。
 最終目的地が近づくにつれ、旅の意味や二人の関係や、秘密の企画のプレッシャーがじわじわと、しかしのんびりとした中の緊張感として描かれる。由美香の顔がどんどん変化していくところが同じ寝ているアップでも変わっていくのが、カメラを通しての平野のドキドキとして伝わってくる。
 さて、最後は想像を絶し、日常に一度落として、再びもっと遠くの世界まで飛んでいってしまう切なさは、神代辰巳というより、田中登の『マル秘色情メス市場』のように貧乏くさく切なく滑稽だ。そして由美香が撮った美しい朝日でなぜか唐突に映画は終わる。 男って情けないねえ。
 ビデオに映ったものは、撮ったものは何だろうと考えていて、プライベートな記録なんじゃないのか。撮ってる最中の彼、平野の欲望と妄想の視線だけがこの作品を成立させている。それだけではなくもう一度編集で思い入れを入れながら自分をコケにしてまでも、自分が納得するものを作ろうとしている。自分がコケにされないとこの映画は成立しないことにいつの間にか気付いていたのだろう。自虐的でさえある痛い編集作業だったろうなあ。ビデオテープには全てが映ってしまいそこには何もない。ある種、視姦としての視線しかない。それがここまで意味を持ち、見ている側までたどり着くことは滅多にない。
 ビデオについてはまだ考える余裕(スペース)はあるだろう。ローリー・アンダーソンとかゴダールがビデオをいじっていた時代を超え、今、「だってデジタルなんだもの。スタミナハンディーカム!」の時代に語る言葉が必要だ。
 映像は汚い、ピントはぼける、ノイズで音は聞きづらい。音楽は一曲のリフレイン。それでも滑稽で哀しくて可笑い作品はできる。
 (角田)