ゴダールの映画史 第二部

第5章=3A「絶対の貨幣」第6章=3B「新たな波」第7章=4A「宇宙のコントロール」第8章=4B「徴(しるし)は至る所に」
ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章 BOX [DVD]
HISTOIRE(S) DU CINEMA  98 ジャン=リュック・ゴダールユーロスペース) 

 僕にとって、ゴダールってのは、難解な映画を引用をちりばめる意地悪爺さんというイメージではない。ゴダールの天才なところはあまりにも独創的すぎて、同時代には理解できないことだ。だから陳腐な形でそれが広く受け入れられるときには、そんなとこはもうとっくにやっているじゃんとなる。
 要するにファッションデザイナーの位置にあると言える。先鋭的に発表されるコレクションは、その時点では奇抜でそのままは受け入れられないけど、何年か後にはそれがファッションとして、着られるものとして一般に出回る。
 彼の映画はそのエッセンスだけで出来ている。その驚きだけを受け入れれば良いのでは無いだろうか。無理して理解しようとはせずに。きっとそのトッポイところは、数年あとにハリウッドの新鋭監督か、CMまたはPVが盗用するに決まっているんだからさ。
 ゴダールについては、もう一つデビュー以来“B級映画”しか撮っていないことを忘れないことだ。あるいはB級映画の精神で作っていることを。単純明快で予算以内で目一杯つめこんで妥協するところはして、自分のやりたいことをする。予算超過までして自分のエゴを押し通す巨匠とはそこが違う。まさに、低予算の映画作りだ。やろうと思えばヒットする映画の作り方などワカッテイル(はずだ)。
 さて、「映画史」だけど、なんか欧州知識人の系譜に連なるような難解なことやっているのかと思ったらさ、アリモノのフッテージにナレーション、相変わらずのノイズ(この場合は、タイプライター)、クラッシック音楽を混ぜ合わせて、盛り上げたり、下げたり
と挑発的にやってくれます。
 だから映画史といっても目新しいフィルムや、歴史を語るようなフッテージは出てきません。予算の関係からか、フィルムの代わりにスチルを使ったりと低予算というのが見え見えです。しかも、最初一本60分が、後半は一本30分になる。まさにB級映画。十年かけるならもっと予算はあるだろうが。というかこの「映画史」テレビ局内の位置づけがそのくらいなモノなのだろう。内容はサブテキストを読んでも良く分かりません。出てきたモノがすべて分かっても繋がらないこと間違いなしです。だから「ゴダールの映画史」という売り方は正解なのです。「映画史」じゃないんですね。
 しかしゴダールがいま再びビデオを撮る必然性がどこにあるのだろうか。70年代に始めて、あきらめたんじゃないのか?そのあたりがあきらかになっていない。
 あと90年代ヨーロッパを意識しだしてからのゴダールは特につまらない。ヴェンダースもそうだが、東が無くなり、欧州統合が進むと、急にアイデンティティ崩壊したようにダメになってしまったのはなぜか。ソ連のスパイだったのか?
 ソニーのセールスマンと化したヴェンダースと違い、ゴダールにはこじんまりとしたものではなく、アナーキーな、どきどきする訳のわからん映画を撮って欲しい。
 (角田)