ブログ雑感 2

また推敲なしです。

ブログは、旧来型のHTLMタグ打ちサイトの延長上にあるのではないと思う。携帯電話、メール、メッセンジャーなどのコミュニケーションツールの進化型だと思う。
でないと、タグを知らなくても誰でも書けると云っても、急にみんな発信したいことができたり、こんなに爆発的に普及はしないだろう。だから今までのある意味好事家たちのものであった旧来型サイトは、コミュニケーションの下手さ不全が原因のために休止せざるを得ない。なぜならヲタクたちがやりたかったことはリアルな世界に繋がり広がるコミュニティの運営がではなかったからだ。
バーチャル空間の緩やかなネット上の付き合いだけのサイトが流行らなくなるのは、いまやネットは生身の発言であるオーラル・コミュニケーションの延長として機能し出したからだ。ケータイ電話の代わりにメールを交し合うのと同じ気軽さ。発信者と受信者の壁が意識されることが以前より無くなり互いが同等の立場から言い合える空間になったと思う。まあある意味、掲示板の延長なのかなあ。
電話みたいなのはイヤだ、私はきちんと推敲した文章でないと人に見せてはいけないと思うなどと言っても時代と常識が変わったのだ。20年位前の「目上の人に手書きでなくワープロで年賀状を書くのは失礼かどうか」という議論と同じだ。それがネット空間でも起こり変化の速度が急激になっただけだ。
旧来型の、紙媒体や文章・文体重視時代の神話(書くのはプロの世界だ)、インターネットの神話時代の「なにか発信しなきゃ書いてはいけない」というプレッシャーから解放され、私は私だから、私のこと好きなことを書きます!「私が私のことを発信してどこが悪い?」が主流になったのです。旧来型のアタマだと、なんだよ書くこともないのに書くなよ。となるのですが、書くこと自体が、サイト=書き手のアイデンティティになるのですね。それはすでに用が無いときには電話を掛けないというのと同じ論理です、ハイ。同時に写真を含む様々なメディアをとりこめるようになり、情報量の多さがコミュニケーションを容易に雄弁にしたと思います。
(自身が発信する=メディア化=広告価値についての考察はまた次回)
こういうのがイヤでネット上の人格を形成して匿名を貫こうとすると、どうしても壁にぶち当たってしまう。だが回避する方法は無いと思う。
今後ネットからどんどん匿名は消えていくと思います。匿名サイトはアンダーグランドに潜ることになると思います。でも、それってどうなのかなと思う。こつこつとアーカイブ化しようと孤独に続けていた作業は、実のところこんなヘンな意見に同調してくれる人がいるかもしれない、と考えていたからじゃないかな。そんな海に壜を流すようなことをしておきながら、だれか拾ってもその人には感謝されても会えないというのはどうなんだろう。オフ会を開かないとダメだということじゃない。すでにネット上でビデオオフ会だってやろうと思えばできるしね。そのときみんな覆面を被っているのだろうか。
要するに、積極的にコミュニケーションを取ろうとするときには、まず自分がだれかを言わないと成立しないということ。旧来型では、テキスト情報の交換であり、所詮文通レベルだったと言うことです。文通はいつまで経っても文通なのです。ただ一方的に押しかけるのはストーカーですがね。
今後、匿名でサイトをはじめることは不可能だと思います。正座して電話するような人はいないでしょ、そういうものです。
時代の変化や波に乗るか乗らないかは個人の自由ですが、私はなんと言われようと、まー、いかにオヤジ化しないで浮わっついていられるかっててとこですわ。