乾杯!ごきげん映画人生

乾杯!ごきげん映画人生

乾杯!ごきげん映画人生

やーこういう映画の本がちょうど読みたかったんだよね。
映画監督、瀬川昌治(まさはる)は、学習院高等科のときに、一学年先輩の三島由紀夫と知り合い薫陶を受ける。のちに三島の了承を得て、「愛の疾走」を監督する話が出るが結局は流れる。
卒業後、兵役に付く。日本の敗戦をまたぎ、大学に進むと、東大野球部で活躍。それから映画人として、新東宝の門を叩く。以後東映で監督になり、コメディを中心にプログラムピクチャーを撮る。その後、松竹に移り、にっかつではロマンポルノも撮っている。もちろんテレビドラマも数多く監督している。

ここでは新東宝の撮影所の様子が活写されていて、それまで末期の大蔵イズムのエログロの話しか知らなかったから、新東宝がそもそもが宝争議によって出来た会社であり、そこには次々と巨匠たちがやってきては、他社では通らないような企画で芸術的(文学的)な作品を撮っていたという歴史があることをつい忘れてしまう。だから社員の誇りには並々ならぬものがあったというのは、説明されるとなるほどと思う。
なかでも師である中川信夫のポートレイトはいいですねえ。彼が新東宝で第一作目を撮るときに助監督の候補が殺到した、なんていうのは人柄が偲ばれますね。『思春の泉』で山形に長期ロケにいった話ののどかさが時代だなあ。やがてそれとは反対に職人監督として重宝され、なんでも撮らされる時代が来る。そんなとき瀬川は中川信夫のシナリオに鉛筆で書き込まれた殴り書きを見てしまう。
「クダらん!俺もくだらん!」
その映画『アマカラ珍道中』は、溝口健二の『雪婦人絵図』の予算の使いすぎのしわ寄せを受けたために、超低予算作品で企画されていた。すなわち撮影所を舞台としたコメディだった。
同世代の大家と呼ばれる監督と比べて才能は変わらないのに、確かに不運に見舞われた中川信夫は、自分と石川啄木をどこかで重ねていたのではないかという。そういわれると『若き日の啄木、雲は天才である』をすごく観たくなる。
他にも早撮りの巨匠、渡辺邦男志村敏夫の驚異の撮影風景や、コメディアンたちの抱腹絶倒の現場での掛け合い。俊藤浩滋鶴田浩二三国連太郎森繁久弥がいままで読んだことの無い顔を見せてくれます。
毎週替わりで作られる二本立ての一本、東映や松竹でのプログラムピクチャー(コメディ作品)の製作の様子を窺い知ることができて興味深いです。
わたしもほとんど観たことのない映画ばかり出てきます。でも知らないのはこちらの不勉強であって、プログラムピクチャーというか、当時の日本映画の豊かさがわかる本だと思います。

セルジオ・レオーネ

セルジオ・レオーネ―西部劇神話を撃ったイタリアの悪童

セルジオ・レオーネ―西部劇神話を撃ったイタリアの悪童

  • 作者: クリストファーフレイリング,Christopher Frayling,鬼塚大輔
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 単行本
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イタリア映画の黎明期から活躍した映画監督を父に女優を母に持ち、映画界に飛び込むと、数多くの、(ハリウッド映画のローマ歴史劇を含む)助監督を勤め上げ、監督になる。その後はご存知のとおりの活躍、マカロニウェスタンを作り上げた男として映画史に名を刻む。
レオーネの作品は、わっ長いなと思いながら観始めると絶対に途中でやめられない。席も立てない。あれだけのクローズアップがあっても、どれだけそれが長い時間続こうと、大きなスクリーンから目が離せない。
この本を読むと、レオーネという人は、映画ヲタクの始祖だというのがよくわかる。ヌーヴェルバーグの連中がアマチュア批評家出身であるのに対して、撮影所育ちのバリバリの助監督修行を積みながら、観客にアピールするエンターテインメント性、ドラマ性に最大限の価値を求める。だからレオーネの西部劇の細部は、アメリカ西部劇のパクリに満ち満ちている。間違っても歴史に忠実に再現する“良心的な映画作家”とは一線を画しているのだ。画面で見栄えがするのが一番なのだ。晩年は偉大なマエストロとして国際映画祭・映画批評家業界から持ち上げられたので、いわゆるヨーロッパ型の映画作家の系譜として捉えられがちになるが、ここを読み違えるとレオーネがわからなくなる。
ひたすらカッコ良さを生み出す映画的なセンスが抜群なのだ。映画を生み出す素養は、ヨーロッパ的な歴史や文学の流れにはまったく無く、ひたすらアメリカ映画。その名作のあのシーン、あの俳優のあのポーズ。それをひねくれた子どもの悪戯で解釈するとき、レオーネ映画は光り輝く。
暴力の表現は、時代が求めた無意識というのがあるとは思うのだが、ハリウッド映画では決闘の撃ち合いを、撃つ側、撃たれる側を同一画面に入れてはいけない検閲ルールがあったという。
そのお上品さに比べれば、悪ガキは必ず子どもの残酷なまなざしをもっている。それを映画として昇華しようとしながら、ぎゅうぎゅうに詰め込んだオモチャ箱をひっくり返したようなスペクタクルまで拡げたのがセルジオ・レオーネだったのではないか。
それはクリント・イーストウッドが評するように、「西部劇のイタリアオペラ化」だったのかもしれない。
ちなみにイーストウッドのトレードマークのかすれた低音の喋り方は、『荒野の用心棒』でイタリア語吹き替えの声をマネして作り上げた…という説があるそうだ。
ジョン・カーペンターが自分の結婚式で『ウェスタン』のテーマ曲を流した、というのはちょっとイイ話。(名曲だよな、いつ聴いても涙ぐんでしまう…)

本書は解釈の押し付けがないところが共感が持てる。ちょっと詰め込みすぎの感があって、整理がついていなくて読みづらいところもあるが、エピソードが満載なので、好きなことろから拾い読みしていくのが良いです。


■レオーネのドキュメンタリー(全8本)


■著者、クリストファー・フレイリングの案内による『ウェスタン』のドキュメンタリー

神様がくれた時間 〜岡本喜八と妻 がん告知からの300日〜

素敵な番組でした。人生の最期が近づいたときに、その時間をだれとどのように過ごすのか。普遍的でありながらも個人的な問題。それどころか、もしかしたら日常的な問題の延長なのかもしれない。胸に迫ります。残されたわずかな濃密になるはずの時間をどうするのか、という問いには、これまでの夫婦のあいだに築き上げられてきた時間、それ自体が答えのように思える。そしてそこにいつも映画が寄り添うように見守るように係わってきたのがわかる。
再放送の折にはぜひ観てください。
再現ドラマでの、監督役の本田博太郎が似過ぎている。でもそっくりショーにならないのは、カメラが近づかず本田とわかるように撮っていない。その距離感が心地よい。妻役の大谷直子も良いです。由縁のあるキャストが演じ、実際の岡本邸を使っているので、ドラマとドキュメンタリーの境界が互いに溶け込み出して、より深く静かな意味が出てくるように思えた。

赤城参り


赤城山は、山の中腹までは新緑になっていたが、まだ場所によってはサクラが咲いていたりする。
山の上のほうでは春はまだ里よりも一月は遅れています。陽当たりの良い、南側でようやくダケカンバが芽吹きはじめているくらいです。
それでも枯れ木の山をよく見ると、ところどころで淡い赤色の花が咲いている。ツツジだろうか、ムラサキヤシオだろうか。

スパイダーマン3

わたしもジョージ・ルーカスと同意見ですぅ…。
http://abcdane.net/blog/archives/200705/lucas_on_sp3.html


語り口が、ハリウッド・メジャーの作品とは思えないんですよ。というかいまはこれくらいなのがフツーなのだろうか。
肝心なことをすべて、饒舌にセリフで説明してしまうので、観客は観るものがなにもなくなってしまうという、映画なのですね。自主映画ではよくありますが…。
だからアクションとドラマ部分がまったく乖離しているし、みんなその場の限りの感情なので泣こうが叫ぼうが、まったくこちらには届かない。
辻褄あわせで書いたシナリオがこういうことになるのは、よくあることだけど、あれだけ時間があって、監督自ら書いてああいう風になってしまうのというのは納得がいかないなぁ。
そういう恐れは第二作でも感じていたのですが、そこは怪人オクトパスにライミが感情移入できていたので、そこだけのドラマが深くなり見ごたえがあった。
でも元々、サム・ライミの語り口は、世界から外された登場人物たちの内に秘める感情がが、外に出ると一直線の軌道を描き、その激情のドライブ感のうねりで物語を進めるのが特徴なので、視点がいくつも分散しながらゆっくりと進んでいくドラマは不得手だ。しかもそれぞれを結ぶ因果の線が細く、後付け的ななんちゃって理由にしかなっていない。
運命であったり、偶然がもたらす糸がつむぎ出す物語が動き出す前に、セリフで感情と理由を説明して、それからそれを正当化するためのアクションに移る、まあご都合主義なのだ。今回はライミ作品に特有な、狂信的に凝り固まった感情で生きてしまい、そのお陰で自滅していく人物が登場しなかった。ホントウはピーターとMJがそれを担わないとならないが、大人の理由でそうはいかない。だが最初のシナリオはそうだったと思いたい。それをサンドマンが担うにはキャラクター設定が弱すぎる。
そう考えると、対比して無意識的天才なティム・バートンが、『バットマン・リターンズ』で、いかに難題をクリアしてきたかがよくわかるなあ。
今回は明らかにいろんなイベントを盛り込みすぎで、すべてを残らずクリアしているけど、しかし、あれだけの長さになっても、登場人物が描ききれていない。サンドマンとか勿体無いよね。もうひとりも最後までよくわからないし。
スパイダーマンや映画化されるアメコミの世界は、学校、友人、会社のありきたりな身近な生活社会を基調とすることで、観客に親しみを持たせようとわざと狭くしているようだけど、それゆえに人物間のドラマは拡がりようがない。展開が読めてしまう。もともとすべてのキャラクターが薄いというのもあるけど。
主役の二人がまったく動いてないんだよね、逆にすべてこうなった原因は、お前たちの痴話話のせいではないかと思えてしまう。ライミの自滅型キャラ造型が、敵側ではなくイヤなカタチでふたりに影を残しちゃったためだと思うよ。
アメコミ映画になに期待しているんだというのはあるが、なんでこんなになっちゃったのだろうか?

佐藤勝 銀幕の交響曲

佐藤勝 銀幕の交響楽(シンフォニー)

佐藤勝 銀幕の交響楽(シンフォニー)

生涯に映画音楽をおよそ300本担当した、佐藤勝は、昭和3年北海道留萌市の料亭の四男に生まれた。音楽と映画が好きな彼は、上京して国立音楽学校(現大学)に入学。昭和20年の敗戦が来て価値観が変わる時代に遭遇し、青年らしく疑問を抱き途中休学をするが、1年後復学し合計6年間通うことになる。
進路に悩み卒業を控えた時期に黒沢明の『羅生門』を観て、音楽の早坂文雄の下に押しかけて内弟子になる。
だから彼は、生活費を稼ぐために映画音楽を担当した現代音楽家たちとはちがい、最初から映画音楽家を目指していたのだ。このことが佐藤勝の映画音楽を特別にしているといっても過言でもないだろう。だから彼は積極的に作品に係わり、現場にも出向き、監督とも個人的な親交を深める。
早坂文雄からは、直接的な音楽について教えはほとんど受けていないという。ただ作り手としての映画に対する考え方や姿勢を学んだという。

そうした早坂の教えとして佐藤がよく例に出したのがセンチメンタリズムとリリシズムの違いである。センチメンタルな音楽は音量を上げたら受け手に感情を押し付けることになって邪魔になる。悲しい場面で音楽も一緒になって泣いたら感情過多となって逆効果になる。リリシズムはそれとは違う。映画音楽作曲家はそのリリシズムを追及していかなければいけない。これは音楽に限らない。役者の演技にもキャメラにもいえる。いいものは決して邪魔にならない。このような考え方である。


病弱な師に代わり、佐藤は溝口や黒沢と音楽打合せをしたり、いくつかの作曲やオーケストレーションを担当した。この時期、早坂の門下には武満徹もいた。のちに『狂った果実』で、佐藤は武満と共作することになる。
一本立ちをした佐藤は、黒沢映画でよく知られるようになった。わたしもそういう印象だった。
しかし実は多くの監督と名コンビを築いていた。岡本喜八沢島忠山本薩夫五社英雄蔵原惟繕森崎東田坂具隆の多くの作品を担当している。
さらに著者はプログラムピクチャー、特に日活アクションや東宝歌謡映画のキャバレーやムード歌謡シーンの、音楽パターンの多くを負っているとも指摘している。気付いてないけれどそういわれるとそうなのかもしれないです。


わたしが興味を持ったは、新しい試みや楽器を積極的に取り入れていく姿勢とその若々しさの部分だ。
岡本喜八の『ブルー・クリスマス』(1978)でエンディングで人気ギタリストCharの歌う曲が流れた。作曲は佐藤がしてCharが編曲だ。そのことも驚きだが、その頃から映画の内容と関係ないエンディング曲が入るようになったという。
『陽炎』(1991)では佐藤の知らないところでエンディング曲が差し替えられ、聖飢魔?の曲が流れた。プロデューサーからは「主題歌を入れましたけどよろしく」という電話。
映画の余韻を壊し、観客の神経を逆なでする、無関係のエンディング曲だが、そのときすでに佐藤の確固たるアプローチを作り上げていた。
『将軍家光の乱心 激突』(1989/降旗康男)のとき主題歌を担当するTHE ALFEと打合せをして、かれらに「とにかく格好いい曲を書いて」と要望し、期待に応えて出来上がった曲をテープ編集して使った。

正面から馬がググッーと移動するところで曲の一番乗る部分をつけたり、カット変わりで間奏にするとかね。あれはコツがあるんですよ。それはまだ理論体系づけられていないし、また僕以外にやる人は少ないんだけどね。でも、僕はそういう実験をやるのが好きなんだ。これに関しては、作曲家というより音楽監督としての仕事とは言えますね。


すごく観たいネエ。


著者、小林淳の本はいつもリスペクトの気持ちに溢れていて読んでいて気持ちが良い。一本一本の映画ごとに楽器の編成など詳細な分析がなされている。
佐藤の自身の言葉で語られた本もぜひ読みたい。
次からクレジットに「音楽 佐藤勝」の文字を見ると、また映画の見方が変わっていくと思う。そんな楽しみを抱かせてくれる本です。
CDのライナーノーツも面白そうだ、さがしてみよう。

音のない映画館

音のない映画館

300/40その画(え)・音・人

300/40その画(え)・音・人